中堀仁四郎(1984)「JICEラボラトリー・トレーニングの変遷−その1」南山短期大学紀要『人間関係』創刊号(論文) 要約

 

はじめに

Tグループが我が国に導入されたのは1950年代の後半である。60年代後半から70年代中頃にかけて企業の人間関係訓練として一種の流行を見た。その後その勢いは衰え現在では僅かの団体がTグループという名称を用いた訓練を行なっているに過ぎない。手許にある資料をもとにJICE(立教大学キリスト教教育研究所)トレーニングの歩みとその変化を眺めてみることとした。

この20年余年間に、ヒューマンリレーションズ・ラブをはじめ、その他、コミュニティ開発ラブ、組織開発ラブ、自己啓発ラブ、聖書研究セミナーなど、さまざまの、また数多くのJICEトレーニングが実施されてきた。この間に、参加者としてまた、スタッフとしてこれらにかかわった者の数は3,000人をこえると思われる。JICEのトレーニングの運動はこれらの多くの人々によって進められ、また、これらの人々を通して我が国の教育・トレーニング界に大きな影響を与えている。現に南山短期大学に人間関係科が設置された時の一方のきっかけはJICEトレーニングの影響によるものであった。

 

Ⅰ 第1回教会集団生活指導者研修会

 

世界キリスト教協議会、日曜学校協会主催の第14回基督教教育世界大会の一行事として、第1回教会集団生活指導者研修会(Laboratory on the Church and Group Life)が、1958年7月21日より8月1日、11泊12日の日程で山梨県清里の清泉寮で開かれた。アメリカ聖公会およびカナダ合同教会より10名の指導者をスタッフとして迎え、参加者には日本のプロテスタント教会各教派の教職者、教師、宣教師の中から英語に特に堪能な35名が選ばれた。

 

研修会の目的

 

目的は次のように述べられている。「教会の共同体生活は、キリスト教信仰の伝達のための基本的媒体である。聖霊の力が各個人を我らの主にあって一つとしているようなキリスト者のグループは、日常の生活に直面し、互いに分かち合うような統一を具体的に示すことによって、この世に対し、福音の力を宣揚するものである。キリスト者の共同体のこの意味は教会内において、知られるべきであるほどに充分に知られていない。従って、このラボラトリーの目的は、グループ・ライフへの我々の関わり具合に影響を及ぼす諸要因、諸力を探究することである。実験的特殊状況下で、これらの諸力に対してよりセンシティブになり、教会内のリーダーとしてより創造的、応答的になることを目指すのである。」

 

ラボラトリーとしてのこの研修会の前提

 

この研修会は、その英語名にあるごとく教会集団生活についての“ラボラトリー”であった。開会に際し、いくつかのラボラトリーの特徴が述べられている。

(1)このラボラトリーは、集団生活のフィールドで展開するように設計されている

(2)ラボラトリーは隔離された状況である。それは“文化的孤島”とも言いうるものである。この意味ではラボラトリーは“人工的”である。しかし我々はここで相互の関係の中に生きている。それは真実な生活である。

(3)ラボラトリーは、それ自身の生活の中で生み出された素材を取り扱う。我々の研究する集団生活は、我々がここにつくりだすグループライフである。

(4)我々の目標は、メンバーとして、グループ状況での自らの行動を向上させることである。ラボラトリーではいろいろのものを組み合わせてこの目標を達成することを助けるように設計されている。

 

研修会の構成要素

 

礼拝、理論セッション、トレーニンググループ、プラクティスグループ、各セッション後に行われたPMR(反応票)などが構成要素である。

 

・理論セッション グループライフに役立つと思われる理論や経験が提示される

・トレーニンググループ(Tグループ)

 ラボラトリーの中で特別に作られたグループで、そこでの研究のための基本データは、そのグループ生活の中に実際に起こっていることがらである。グループ内でのトレーナーの役割は、そこで起こっていることがらをグループが理解することを助けることである

・プラクティスグループ

このグループではメンバーは、小グループ内に働く諸力を認知するスキルを伸ばし、それらの諸力を扱う適切な方法を練習することができる

 

研修会の学習過程

 

ラボラトリーは前述の構成要素を組み合わせながら進められるんであるが、そこでは参加者は主体的な体験学習をするのであり、その学習は参加者の行う(1)経験(Experience)(2)反省(Reflection)(3)表象(Symbol)(4)秩序(Order)の過程を踏んで深められる。

 

研修会の1日はTグループで始まっている。Tグループで、メンバーは参加者としてグループ内の様々の事象を経験し、同時にそれを観察する。メンバーが互いに認知した今ここの出来事を、フィードバックし、共有化する。その過程はまた新しい事象をグループの中に生み出すのである。

Tグループに続いて、理論セッションが保たれる。ここではTグループに起こっていることに関係のあると思われる理論が提示される。この提示は講義、スキット、バズなどの手法を用いてなされる。これはTグループの体験を整理し、理論として深めることを目指しているものと考えられる。

午後にはPグループがTグループとは違ったメンバー構成で行われる。Tグループと比較してよりはっきりと構成化された小グループで、グループ観察、ロールプレイング、司会者のスタイル、変革の技法などのグループ・スキルを参加者が現場で活用できるよう訓練する。

夜は自由またはその他の領域の問題—「神学と研修」など−を取り扱う時間として用いられている。

この1日の流れは、今ここでの体験をする、理論を学ぶ、スキルを習得する、この3つからなっており、前述の「体験学習の過程」をスケジュール上に組み込んでいると見ることもできる。

理論セッションで取り上げられた主題は、グループの欲求、司会者のスタイル、リーダーシップ、メンバーの機能、コミュニケーションの障害、権威と権威主義の問題、集団圧力と集団基準、ネガティビティ、逸脱者の問題、社会的変革、グループの発達段階である。

 

研修会の特徴

 

この研修会の特徴は、初期ベゼルの三週間のラボラトリーを二週間に短縮してアメリカ聖公会教育局が行っていたLaboratory on the Church and Group Lifeとほぼ同じものであったと思われる。この研修会の特徴は、グループの諸要因に対する感受性を強め、グループでの行動能力、スキルを身につけ、グループ、組織を民主的かつ効果のあるものにする変革体−チェンジ・エージェント−を育てることを目的とし、グループの社会学的、心理学的側面を強調したところにあった。

 

Ⅱ 第2回から第10回研修会まで

 

第1回研修会の参加者のあるものは強力なインパクトをこの研修会より受けたものと思われる。彼らはその後自主的研究会を続けた。その結果2年後に第2回研修会が開催されることになり、その後にJICEが設立された。

 

第2回研修会から第4回研修会まで

 

2年後の1960年に開催された第2回は、アメリカ聖公会より4名のコンサルタントを招いて、第1回研修会の参加者で研究を続けていた者たちがスタッフとなって実施された。第3回はその2年後、初めて日本人だけのスタッフによって開かれている。日程表に現れた限りでは第1回とほぼ同じである。第4回は特に外国人宣教師と日本人教務者の相互理解を深めることを意図して行われた。

またPグループの呼称が、第4回では「Eグループ」(Experimental Group)と変わった。EグループではTグループなどと関係なしにグループ・スキルを練習するのではなく、Tグループや理論セッションで得たものをExperimentallyに確かめ、総合することを強調したのである。

以上第2回から第4回まではアメリカより移植されたラボラトリーを我が国の土壌に根付かせる努力がなされた時期であったといえよう。

 

第5回研修会

はじめて産業界から教育担当者の参加があった。Tグループの回数が増し、Eグループが減っていることがわかる。枠組みの違ったEグループとTグループの関連づけについての不満が参加者から出され、その2つを結びつけることの難しさを示している。従来理論セッションと言っていたものが、Gセッション(General session)と呼ばれるようになっている。「理論」という響きが与える先入観を避けること、Eグループとの関連づけを持たせること、より自由な公的定時方法

を用いていけるように、と言ったことがこの変更の理由であった。

 

第6回研修会

 

前回の研修会においてで始めたTグループ重視の傾向は、この研修会においてはっきりと表面に現れた。第6回研修会スタッフによる準備研究会では、この研修会が教会にとってどのような意味があるのかが問題にされ「研修会では、今ここの生きた体験学習を通してリーダーシップスキルを身につける」「グループの中で自分を理解し、感受性を養い、相互理解を深めていく、それによって変革が行われる」「教会生活ではグループを動かすスキルよりも、個人が感受性を持つことによってこそ生きた交わりを体得できる」などの話し合いがなされている。

研修会の目標は参加者が教会という現場で生かせるスキルを習得することであるが、グループ(対人関係)の中でこそ自己理解を深めることができ、自己理解は状況への感受性を生み、それによってスキルも意味あるものとして生かされる、というのが大体の方向であった。EグループについてはGセッションにEグループ的なものものを合流させることに決まっている。

第6回は、大きな変化があった。Tグループの“今ここ”での体験を通して、個人が自己についてより深く学ぶ方向に進んだと見ることができる。しかし一方では研修会の学習体験を現場に生かすという立場からグループ・スキルの習得に強い関心が持たれており、この2つの側面をいかに研修の場で結びつけていくかがその後の課題となっていった。

 

第7回研修会

 

11日間の研修期間中、はじめの8日間にTグループを16回行い、あと3日間はEグループを集中して行なっている。その理由の1つはTグループに対する考え方が初期のものとは変化してきたことである。すなわちTグループは“今ここ”を強調し、その中で自己理解、他者理解を深め、グループ成長を体験することにあり、その体験を充分に深めるため、スキル習得のEグループは後方に持ってくるのが有効というものであった。もう一つはEグループを効果的に行うために、集中して時間を取るのが良いという理由である。それはTグループの体験を研修会での中心的なものとして深めるとともに、そこで得たものを新しい状況の中にいかに移しかえていくかを探っていく試みであった。

 

第8回研修会

この研修会では再び“Tグループと理論、そしてスキル”いわゆる“三本柱”が強調される。Eグループは比較的早くから長い時間をとって行われる。

 

第9回研修会

Tグループは22回、Eグループはなし、Gセッションは「感情表現」「創造性」などが行われた。Eグループがなくなったことについて、「従来、現場適用への道後箱としてEグループが考えられていたが、参加者の自由で創造的生き方を発言する場として現場適用の道具は自らが創造的に生きることであり、他から与えられるものでない。Tグループ中心で進められていくならば、その発展過程の中でEグループの意味するものが同化されてくる」という考え方があった。「GセッションやEグループで行なっていたことは次にもたれる継続のラボラトリーに回すべきである」という理由づけもあったようである。

第9回研修会はこれらの考え方に基づいて、Tグループ中心で進められ、グループ領域に関することよりも、個人および対人の領域を主に扱っている。

 

第10回研修会

この回より期間が7日間になった。期間の短縮にも関わらず、Tグループは18回行われた。GセッションはTグループの発達を促進することを意図して行われた。

研修期間の短縮は、参加を容易にするためでもあったが、研修を2つに分けて、Tグループ中心のものを基礎訓練とし、現場適用のためのスキルトレーニングはある期間を置いてから行うことが効果的であるという考え方から行われたことでもある。以後このトレーニングを2分する方式は、第17回からの基礎訓練としてのヒューマンリレーションズラブと継続訓練としての組織開発ラブ、自己啓発ラブ、教育計画ラブなど各種のラボラトリーやセミナーの開催へと発展していったのである。

 

Ⅲ まとめ

 

以上を通してみると、初期のものは教会のリーダーとしてのスキル習得、責任ある、創造的なあり方を目標としているのに対し、後のものはより個人の成長と自分らしい生き方を見いだすことが表面に出ている。

 

研修会の構成要素としての全体を通しての変化はTグループによる個人内的な学習を深める方に向いており、それは第1回研修会に含まれていた多様な学習目的、素材を混乱を避けて効果的に学習し活用するために整理することであったと見ることもできる。しかしそれはまた何かを失うことになったかもしれないのである。また回を重ねるごとに対人または個人領域の理論や自己表現を主としたGなども行われるようになっている。この傾向はTグループが重視されていくのと重なり合っている。

 

以上のように見るならば、第1回から第10回研修会までの変化は、集団生活を前提としているものの、初期のグループの社会学的・心理学的理解を基にしたグループスキルの開発についての関心から、次第に自己理解、対人理解、自己成長への関心へと移っていったのである。

 

構成要素の変化については、Tグループとそれ以外の学習方法がうまく噛み合わなかったということがある。Tグループの中での自らの感情や相手の動きに関わり出すとそこより抜け出せなくなる。他の要素が入ってきても邪魔になり混乱の元となる、と見たからである。その結果、抵抗や混乱の少ない研修会へと形を変えていったのだと見ることができる。実際初期の研修会の終了時アンケートを見ると、混乱したままで終わっている人が比較的多いのである。しかしそれがいつの場合もいいというものではないのではと思う。

 

参加者はラボラトリーの中で様々な、時には異質の体験をする。そして体験と体験とを自ら選びながら結びつけて統合していく時に学習がより全人的に起こるのではないだろうか。このように考えると学習場面での混乱や抵抗を取りのけることが体験を統合するという学習者の貴重な作業を奪ってしまうことになる場合もあるのではないだろうか。

 

最後にJICEのラボラトリーを発展させてきたものの一つに“pre-Lab”というスタッフによる”ラボラトリー“があるが、これに触れたい。研修会の都度そのスタッフチームが編成されると、開催の数ヶ月前に準備研究会を3泊4日あるいは2泊3日で行い、それまでの研修会の結果の検討、そこからお互いが今回の研修会に持つ期待を出し合い、研修会のねらいを作りながら、どのような新しい変革をしていくかを話し合い、それについてのお互いの分担を決め宿題として持って帰る。研修の始まる丸2日前から第2回目の準備会、pre-Labを行う。今度は実際の参加者を念頭に置いて準備がなされる、という風であった。前回を踏まえて新しいものを作り出す作業がなされてきたのである。

スタッフも参加者も共に自らをそこに投げ込んで学ぶ体験学習EIAHの過程であるラボラトリーが各回の研修会ごとに起こらなければならないし、1回ごとにそれを設営していくスタッフの側でも絶えずそれに挑戦しなければならないことだと思う。作り上げたものを、次には、それを生かしながらも壊していく作業がラボラトリー・トレーニングの一面にはあることをはじめの10年間の研修会の変化が教えてくれるのである。何事もそうであるが、トレーニングも定形化してくると安定はする。また参加者の満足にもムラがなくなる。しかし“ラボラトリー”ではなく“ラボラトリー・トレーニング”という定形訓練になってしまう。しかし時には「ラボラトリー」の冒険が必要なのかもしれない。

 

 

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