「専門家の知恵~反省的実践家は行為しながら考える」ドナルド・ショーン(1983)要約

 

Ⅰ 「技術的合理性」から「行為の中の省察」へ

 

 「技術的合理性」モデルとは、専門家についての私たちの考え方、研究、教育、実践の制度的関連を強力に形成してきた見方である。このモデルでは専門家の活動は、科学的な理論と技術を厳密に適用する道具的な問題解決にある。このモデルは専門職についての学者の著述に大きな影響を受けている。例えば「新しい科学的知識の周辺に専門分化した職業が生まれた」などである。

 

 ホワイトヘッドの専門家の定義は次のようである。一般の職業では、慣習的活動に基づき、個々の実践の試行錯誤によって修正する。専門職では個別具体的な問題に対する一般的な原理の適用が行われる。ムーアによると専門職は高度に専門分化した職業とされる。また専門家の熟達の典型は医学・法学の「学習された専門性」で、<メジャーな専門性>と呼ばれ、教育、図書館などのマイナーな専門性とは区別される。

 グレイザーによるとメジャーな専門職は学問的に原理づけられ、安定した制度的文脈で機能し体系的知識を持つ。マイナーな専門職は変わりやすい曖昧な目的のもと、不安定な制度的文脈しかもたず、体系的知識はない。科学的な知識ベースの発展は安定した目的に基づく。専門家の実践は一種の道具的な活動である。

 

 専門職の体系的な知識ベースには4つの本質的特性がある。それは①専門分化していること②境界が固定していること③科学的であること④標準化されていることである。④がとりわけ大事であるが、それは専門家の知識ベースとその実践との間をつなぐからである。こうして専門家は具体的問題に、一般原理を適用し標準化された知識を適用する。このように「適用」という言葉からわかるのは、一般的原理が最高次、具体的問題解決が最低次ととらえていることだ。

 

 またシャインは専門家の知識の3要素として

 ①実践が依拠し発展する基盤となる学問や基礎科学

 ②日々の診断の手続きや問題解決の多くが導かれる応用科学や技術学

 ③基礎となる知識の応用知識を使って、クライアントへのサービスを現実に行うことにかかわる技能や態度

があることとする。

 そして知識が基本的で一般的であるほどその人の地位も高くなる。つまり十全な専門家の地位に格上げできるかどうかは、知識ベースが専門職に必要な特性を備えているかどうか、実践の日常的な問題にその知識ベースを規則的に適用できるかにかかっている。例えば社会福祉士が専門職としてサービスに科学的方法を適用すればするほど、専門職の階層構造の中で上昇していける。

 「技術的合理性モデル」は専門家の生活という制度的文脈に埋め込まれている。専門家教育の規範的なカリキュラムにこのモデルは暗黙的に埋め込まれている。教育者、研究者がこのモデルに疑問を抱いても、彼らはこのモデルを永続させる制度の当事者となっている。

 

 専門家の知識は階層モデルになっている。研究は制度的に実践から分離していて、注意深く定義された交換の関係で実践と結びつく。研究者は基礎科学と応用科学を提供することを期待される。ここから実践の技術が生まれる。したがって研究者は実践者より優れているとされる。実践者は研究すべき問題と研究結果の有効性の検証を研究者に提供することが期待される。技術的専門職によって労働の分割が進展する。例えば開業医と医学研究センターのようにである。

 社会学者、政治学者などはマイナーな専門家学部に彼らの学問を持ちこむ。その実践者の地位より高い地位にいると明言する。例えば工学の科学者はエンジニアの専門家より地位を高くおく。専門職大学院のカリキュラムにも反映されていて、まず基礎科学と応用科学、次に現実世界の問題に適用される技能の順に重視される。

 

 シャインは専門家教育の研究を行い、次のようなカリキュラムが支配的であることを見出した。まず応用科学の要素につながる共通の科学の核となる内容から始まる。そして態度と技能は「実習」「臨床的作業」と名づけられ、応用科学の要素と同時に提供される。

 シャインのいう「技能」は見過ごせない重要性を持つ。専門家教育のカリキュラムに制度化された「技術的合理性」のモデルの見地から見ると、リアルな知識は基礎科学と応用科学の理論と技術の中にある。だからこれらがはじめに来るべきであり、具体的な問題解決のために理論と技術を使用する技能はこれらを学んだあとに来るべきとされる。なぜなら

 ①応用的な知識を学ぶまでは応用的な技能を学ぶことはできない

 ②技能は曖昧な二次的種類の知識である

からである。例えば医学部教育では教える側も基礎科学、PhDの教師、臨床、MDの教師などと分離している。法学は曖昧な科学的基礎しかないと思われがちである。しかし法学の原理は先行する判決の研究から発展し、その後の判決を予測するのに使える。

 

 ケースメソッドでさえ、科学的な原理の教授はその原理を適用する技能を発達させる前に教えるべきという信念に基づいている。例えばハーバード経営学のケースメソッドにおいてボク総長は、事例は学生が理論と技術を「適用する」ことを教えるすぐれた手段であるけれども、考え方と分析方法を伝達する理想的なやり方を最初に提供するわけではない。これは一般化された原理と理論と方法を発展させる研究に専念することを妨げると述べている。ここには「技術的合理性」モデルに基づく規範的カリキュラムに対する疑うことのない信念がある。

 

支配的な実践的認識論

 

 専門家の知識についての支配的モデルとは、科学的な理論と技術を実践の道具的問題に適用するものとして専門家の知識をみなす支配的見解のことである。それは300年の西欧の思想と制度の歴史によって、人の精神の中に、大学という制度自体の中に埋め込まれた。「技術的合理性」は実証主義の遺産であり、実証主義の実践的認識論である。実証主義は科学と科学技術の勃興の基礎として、科学と技術の成果を人類の福祉に適用することをねらった社会運動として19世紀に成長した哲学の教義であり、19世紀後半に大学の中で制度化され、20世紀前半に専門職大学院でも制度化された。

 

 この時期、人間の進歩は人間の目的を達成する技術を創造する科学を利用することで達成できるという科学的世界観が優勢になった。この「技術プログラム」はベーコン、ホッブスの著書で初めて鮮明にされ、18世紀啓蒙主義の哲学者の主要テーマになった。そして19世紀後半に常識化された見識の支柱になった。同時に専門職が新しい科学を人間の進歩の達成に適用する手段としてみられるようになる。例えばエンジニアは他の専門職の技術的実践のモデルになっていった。

 

 こうした科学と技術の勝利に説明を与える哲学の登場は、これを妨げる宗教、神秘主義、形而上学の残余を人類から追放することになった。コントはこの実証哲学の3つの教義を挙げている。

 ①経験科学は知識の一形態ではなく、世界についての実証的知識の唯一の源である

 ②神秘主義、迷信、他の擬似知識を人々の心から取り去る

 ③科学的知識と技術的統制を人間社会へ拡張するプログラムである

彼に言わせると「技術はもはや幾何学や機械、科学の技術であるだけでなく、政治の技術、道徳の技術でもある」。19世紀終わりに実証主義は支配的哲学になり、20世紀初頭、ウィーンサークルの理論でこの認識論的プログラムは明白なものになっていった。

 その後、科学的知識の排他性の正当化・洗練の努力がなされた。感覚的経験の要素に還元できない経験的知識を基礎づける必要性に気づいたのである。そこで自然の法則を自然に内在する事実ではなく、観察された現象を説明するために創り出された構成物としてみる必要が生じ、結果科学は、仮説-演繹的な体系となった。科学者は仮説、すなわち見ることのできない世界の抽象モデルを構成する。このモデルは実験によって立証・反証される仮説演繹を通してしか検証できない。科学的探求の核心は競合する説明理論の中から正しい説明を選ぶために決定的な実験を行うこととされる。

 

 この実証主義の教義から見ると実践は不可解で特異なものに見える。実践的知識は確かに存在するが、ただ、実証主義のカテゴリーにきちんとあてはまらない。実践は、世界についての記述的知識の一形態として容易に扱うこと出来ない。論理学や数学という分析スキーマに還元することもできない。

 そこで実証主義は実践的知識というパズルを「技術プログラム」で解決した。つまり実践的知識を目的に関する手段の関係についての知識として解釈したのである。最も適した手段は何という道具的疑問に還元できると経験によって解決できる。具体的には科学に基づく技術を使用することで、最適の手段を選択できる。例えばエンジニア、医学は目的に手段を当てはめる点で劇的な成功を収め、道具的実践のモデルになった。職人技と洗練された技法(実証主義では厳密な実践的知識という位置を占め続けるものではなかった)にとってかわる科学に基づく技術的実践の典型になった。思考についての他の伝統が消滅したわけではないが、アメリカでは実証主義、「技術プログラム」のエートスが行きわたることになった。

 

 この実証主義の認識論は、大学と専門職の間に労働を適切に分配する規範的考え方になった。ヴェブレンによれば大学は、「科学と学問の生活に人間を適合させる高次の使命」を持つ。専門学校は「生徒がその世界の市民になれるよう知識と習慣を教え込む」。専門家は自分の実践上の問題を大学に与える。大学は新たな科学的知識を専門家に返す。それを検証するのは専門家となる。

 ヴェヴレンによれば技術者は大学に入るのを認められない。実際には技術者、専門職の多くは大学に入ったが、しかし実証主義の認識論を受けいれる必要があった。また労働の根本的分業も受けいれる必要があった。この分業は地位の階梯でもある知識の種類の階層構造を反映している。高等な学習を担当する学部は、より低い学習を扱う学部より優れているとされた。

 

技術的合理性の限界への気づき

 

第二次世界大戦によって「技術プログラム」と実証主義認識論の両方に大きな起動力が働いた。国家規模の研究と開発の制度が整い、技術者は類のないほどの科学的研究を活用できた。マンハッタンプロジェクトなどがその例である。そこから得た教訓は、大がかりな社会目標の定義と国家の関与による研究への資金投入があれば、いかなる目標も達成可能であり、科学研究が専門家の実践の基礎であるという考え方が強化された。大戦後、政府が研究につぎ込む費用は増加し研究機関が増殖した。新しい科学的知識の創造に向けて組織が作られていった。

 科学的知識は富を生み出し、国家目標を達成すると共に、人間生活を向上、社会問題を解決するという命題が生まれた。医学部がその典型例である。他の専門職も医学のような有効性と威信を達成することを望まれ、研究と教育制度の連携、研究と臨床的役割の階層構造、実践のために基礎と応用研究を結び付ける体系が求められた。

 こうした医学モデルと、工学モデルの成功は社会科学にも影響を与えた。教育、社会福祉、政策立案の領域でも、研究を適用して実践者を教育する医学・工学モデルに従うようになった。ソビエトのスプートニク発射は科学と技術の国家投資に拍車をかけ、基礎科学だけでなく科学に基づく社会建設の緊急性への感覚が生まれた。専門職主義の始まりである。

 

 1963年~1982年はこうした専門家の欠点と限界に気づきが生まれた時期である。専門家が自らの規範にふさわしい生き方をすることができないこと、社会的に目標を達成し問題を解決する援助能力がないことが明らかになった。そして複雑性、不確実性、不安定さ、独自性、価値葛藤という現象を抱える現実の実践の重要性に気づくことになった。これらは「技術的合理性」のモデルに適合しない。

 「技術的合理性」の視点では専門家の実践は問題の「解決」過程とされる。選択や決定という問題は、すでに確立された目的にとって最適な手段を利用可能なものの中から選択することによって解決される。しかし問題解決は強調されるが、問題の「設定」は無視されている。

 現実世界では問題は実践者にとって所与のものとして出されているわけではない。当惑し、手を焼く、不確かな問題状況の素材の中から問題を構成する必要がある。問題状況を問題に移しかえるため、実践者はある一定の仕事をする必要がある。つまりそのままでは意味がわからない不確かな状況の意味を認識する必要がある。例えばある道路を建設するかどうかを決定する際には地理的、位相幾何学的、財政的、政治的な複雑な定義できない状況を扱うことになる。

 

 専門家はこの不確かな状況が実践にとって中心的だとみなすようになった。問題の設定は技術的な問題解決の必要条件だが、それ自体は技術的問題ではない。状況の中で「ことがら」を選び、注意を向ける境界を定め、問題に一貫性を与える必要がある。問題設定は、注意を向ける事がらを名づけ、その事柄に注意を向ける文脈に枠組みを与えることを相互に行う一つのプロセスである。

 そして1つの問題が構成されても、応用科学の範疇からはみ出る恐れがあり、問題は独自のものや不安定なものとして現れる。実践者は応用科学のカテゴリーを実践状況の特徴に位置づけることが必要だが、実際には独自の症例は応用理論の範疇に入らないことがある。不安定な状況はそれらのカテゴリーから抜け落ちる。

 

 また「技術的合理性」は目的に同意することに依存している。目的が固定し明らかな時、行為の決定は手段の問題となる。しかし目的が交錯し葛藤していて解決すべき問題はまだ存在していない場合、応用研究から生まれた技術の使用によって解決することはできない。達成すべき目的とその目的達成が可能な手段の両方を構造化し明らかにすることは、問題状況に枠組みを与えるという技術的でない過程を通じてなされる。

 精神医学や都市計画には解決が複数ある。こうした専門家の実践のパラダイムが葛藤する状況には、技術の利用にとってはっきり確定した文脈はない。実践の役割に枠組みを与え、各々が問題の設定と解決に対し特有のアプローチを持つ多元的な方法を巡る議論はある。実践者が葛藤する役割枠組みを解決することは、「技術的合理性」モデルからはずれた一種の探求過程である。

 

 不確実性、独自性、不安定性、価値の葛藤が実証主義の実践的認識論にはひどくやっかいで、実践的認識論に縛られた実践者はジレンマに陥る。専門家の知識についての厳格な定義からすると、実践の中心としてみなすことを学んできた現象を排除する必要が出てくる。実践の中心をなす現象に対処する洗練された技法は実証主義者にとって厳密な専門としての資格を与えるものではないのである。

 こうした厳密性か、適切性かのジレンマは実践の領域でより明瞭に生じる。研究に基づく理論と方法が有効に使用できる状況とそうでない状況が存在し、後者がクライアントやより広い社会で重要なことが多い。後者をフィールドとして選ぶと、探求の方法は経験・試行錯誤、直観的となる。前者をフィールドとして選ぶと狭い技術的実践に自分を閉じ込めることになる。

 「フォーマル・モデリング」はこの2つの状況を見るのに興味深い文脈を提供してくれる。ORの発展によって様々な分野でコンピューター化されたモデルが活用されている。 例えば在庫管理、情報検索などである。ただ経営など複雑であまり明確に定義できない問題では有効な結果を生み出せないこともある。しかし、このモデリングの実践者は、実践の際のトラブルを無視し、複雑な問題にモデルを使い続ける。そこでは専門家の知識にあわせるために、実践状況をそぎ落とす方法が用いられ、 自分たちのカテゴリーに入らないデータには選択的に注意を向けないようになる。

 

 こうした技術的熟達者の限界を考え、新しいアプローチを取る人もいる。シャイン、グレイザー、サイモンなどである。これらの人は、専門家の知識と、現実世界の実践の要求との間のギャップを認めていた。理論的基礎での類似性もはっきりしている。

 シャインは基礎科学と応用科学は収束的であり、実践は拡散的であるとする。現象分析のパラダイムと実践のための知識ベースの同意が得られる専門職はあるが、専門家の実践の問題には、独自で予測不可能な要素もあり続ける。専門職とは「収束的な知識ベースを持ち、その知識をクライアントシステムの持つ独自の要求に応じて仕立てていく専門的サービスに変換する」能力を持つ人である。ここには拡散的な思考技能が必要である。ただシャインはそれが何か記述していない。拡散的な思考技能が理論・技術の用語で記述できるなら、専門知識の階層のある要素に属するはずである。一方拡散的な思考技能が理論・技術ではなく、なお一種の知識であるならそれはどのように記述されるのか?

 

 グレイザーは専門職の種類をメジャーとマイナーに区分けした。医学・法学は固定した目的とはっきりした制度的文脈の上に、厳密な実践に事足りる専門家の知識の固定した内容があり、メジャーと言える。一方神学や社会福祉は曖昧な目的しかなく、変化する実践の文脈の上に知識が固定していない。それはマイナーである。

 そしてサイモンは大学院が自然科学の学部になってしまっていて、「知的にソフトで、直観的でインフォーマル」なデザインを専門職大学院が教えていないと指摘する。大学は「核となる専門家の技能を訓練する責任を放棄」しており、存在しないデザインの科学に基礎をおく必要があるとする。そしてデザインの科学の構築を主張した。それは統計的意思決定理論と最適化の方法であり、目的は『制約』と「効用関数」に変換し、手段は「コマンド変数」に、法則は「環境パラメーター」に変換することで問題がきちんと形成されたら、計算方法によって解決できると考えた。ただし構造化された問題は所与のものではなく、やっかいな問題状況から構成される必要があるとする。

 

 上記3人の共通の方略は、専門家の知識の科学的基礎と、現実世界の実践の要求とのギャップを、「技術的合理性」のモデルを保持するやり方で埋めようとしている。シャインは収束的科学を拡散的な実践から分離することで、グレイザーは拡散的知識をマイナーな専門職に帰属することで、サイモンは道具的な問題を定式化するデザインの科学を提案することによってである。

 

 ただ、実証主義の実践的認識論は本家本元の科学哲学において評判が悪くなっている。リチャード・バーンスタインは、19世紀実証主義の学派に推進されたテーゼの中で、実証主義者自身の哲学的議論の基準で検証されたときに、痛烈に批判されなかったテーゼは1つもなかったと指摘する。分析・総合の2分法も意味についての真偽確証の基準も打ち捨てられた。自然科学と形式的な学問構造についての実証主義者の理解がひどく単純化されすぎていたのである。ポスト経験主義哲学と科学史における今日の議論では、当初の実証主義科学、知識、意味に関する理解が不適切であった点は合理的な同意が見られる。

 

 科学哲学者の間で実証主義者と呼ばれたい人はいない。芸術的技法、わざ、神話のような古来のトピックへの関心が生まれている。これらは実証主義が閉じ込めるべきものとかつて主張した運命を持つトピックである。

 専門職を悩ませてきたジレンマは科学それ自体ではなく、科学に対する実証主義者の見解によっておっていたことは明らかである。この視点から見ると科学は、事後に研究から引き出される確立した命題の一群と見る傾向がある。実践において実証主義の見解の有効性に限界があることが認識され、厳密性か適切性かのジレンマを経験した。一方、事前に科学者が不確実性と取り組み、その不確実性と同種の探求の技法や実践の技法を開示する過程として科学を考察することもできる。

 

 専門家の知識についての問いを改めて考えてみると、「技術的合理性」モデルは拡散的状況における実践的能力を説明できない点で不完全である。技巧的で直観的な過程において暗黙に作用している実践的認識論、実践者が不確実で独自な価値葛藤をはらむ状況にもちこんでいる実践的認識論を探索することにする。

 

行為の中の省察(Reflection-in-Action

 

 日常生活の行為という特に意識しない直観的行動では、特殊な仕方でよくわかっているようにふるまうことがある。しかしそのような知がどのようなものかをいうことはできないことが多い。それを記述しようとすると戸惑い、明らかに不適切な記述をしてしまう。私たちの知は、行為のパターンや扱っている素材に対する感情の中に暗黙に存在するが、それは不明瞭なものである。私たちの知は行為の「中」にある。

 専門家の職業生活は、暗黙の「行為の中の知」に依存している。有能な実践家は、合理的に分別され、完全に記述できない現象を認識できる。そこでは適切な基準をもち、言葉では述べることができない質の判断を無数に行う。そしてルールや手順として述べることができない技能を実演する。理論とそれに基づく技術を意識している中でも暗黙の認識と判断、行為に依存する。

 

 普通の人や専門家は自分のしていることについて考えることがある。驚きに刺激されて行為についてふりかえり、行為の中で暗黙に知っていることをふりかえる。例えばこのことを認識した時、私はどの特徴に気づいたのか。私がこの判断をする基準はなんだったのか。私は実際どんな手順でやっているのか。私は問題に対し、どのような枠組みを与えているのかなどである。

 「行為の中の知」への省察は、すぐにその性質への省察を伴う。現象を理解しようとする時、行為の中で暗黙になっていたものへの理解や、明るみにだし批判し再構造化し、引き続く行為の中で具体化するプロセスもまた省察することになる。不確実性、不安定性、独自性、価値の葛藤という状況で実践者が対処する「技法」の中心は、「行為の中の省察」というこの過程全体にある。

 

行為の中の知(knowing-in-Action

 

 技術的合理性モデルをわきに置くと、ある種の知が知的行為の中に本来的に備わっているものという考えはおかしくない。常識でもノウハウというカテゴリーは認められる。例えば芸人や大リーグのノウハウなどである。このノウハウは熟練した実践を無意識に行うほとんどの場合、先行する知的操作からはうまれないある種の知の存在を示す。

 

 ギルバート・ライルは良識ある作業と愚かな作業を区別し、手続き的知識(knowing how)は宣言的知識(knowing that)で定義できないとした。「私がいまやっていることを考えている」は、「何をすべきかを考え、かつそれをやっているという両方のこと」を指すのではない。知的に何かをしている時私は1つのことをしている。アンドリュー・ハリソンは、熟練した行為は、「私たちが言葉で言える以上のことを知っている」ことを明らかにすることが多いという事実に衝撃を受けている。チェスター・バーナード(1938)は思考過程と非論理的過程を区別し、後者は言葉や推論では表現できないとする。それらは判断や決定、行為によってのみわかる。例えばボール投げの距離はかり、財務諸表から意味を見いだすプロセスなどがそうである。

 マイケル・ポラニーは暗黙知を提唱した。人の表情を言葉でいうことはできないが、認識することはできる。また道を探る杖を使う際、手への衝撃の感覚が「自分が探しているものに触った道具の先の感覚へと変えられる」。これは感覚が自分の暗黙の知に内化されることであり、技能の獲得と言える。クリス・アレキサンダーはデザインに含まれる知を指摘した。ある形が文脈にそぐわないという認識はあるが、そのルールは記述できない。ただ悪いものは悪いと認識することはできる。

 ジオフェリー・ヴィッカーズは「芸術家たちは、規範自体を記述するよりも一層はっきり規範からの逸脱を認識し記述できる」という。私たちが自分たちの実践的能力に頼って判断を行い状況の質的理解を行っているのは、このような暗黙の規範を通じてである。アルフレッド・シュッツは、記述できない音韻や統語のルールに従って人は話していると指摘し、儀礼のような社会的やりとりに用いられる暗黙の日々のルールを分析した。私たちは通常気づかないルールと手続きによってふるまっている。

 

 こうした例において知(「行為の中の知」)は次のような特性を持つ。無意識に行う方法を知っている行為や認識や判断がある(行為の遂行に先行してそれらについて考える必要はない)。私たちはこれらの行為や認知、判断を学習していることに気づかないことが多い。こうした行為が内化されていくことに気づくこともあり、気づかないこともある。いずれも行為が表す知を記述することは通常できない。

 

行為の中の省察(Reflection-in-Action

 

 例えば大リーグの投手には、はまりどころを見つける経験がある。そこにはある種の省察がある。彼らはボールの感じをつかみ、その感じでうまくいったときと同じことを繰り返す。「感じ」は再びそれを実行することを可能にする。投手は自分の行為のパターン、状況、暗黙のノウハウについての一種の省察を行う。行為について省察することも、行為の中で省察することもある。

 ジャズでは、自分の聴いている音に対し、その場で調整が行われる。即興は演奏に境界を与え一貫性を与えるスキーマの中で一連の伴走和音を変化させ、結合し、再結合することから成り立っている。集団でつくり上げる音楽に対し、個々人が寄与できる音楽について行為の中で省察する。つまり「音楽の感じ」を通じて省察している。

 こうした行為の中の省察の大半が驚きの経験につながる。直観的で無意識の行為が驚き、喜び、希望へ導く時、私たちは行為の中で省察することによってそれにこたえる。この過程では、省察は行為の結果、行為自体、行為の中の暗黙の直観的な知が相互に作用しあって焦点化されていく。

 

 ブロック置きの作業で、子どもは幾何学的中心と言う行為の理論を否定する出来事に直面し手を止める。ちょっと中心からずらし修正することで、最終的に初期の行為の理論を放棄し、バランスの理論を重心に変化させる。

 この過程の観察から子ども自身では詳しく述べられない「行為の中の理論」が記述できる。子供にとっての「ブロックの感じ」、つまり「行為の中の知」を観察者は「行為の中の知識」に置き換えている。この種の置き換えは「行為の中の省察」について話そうとするとき避けがたい。ある種の知や知の変化を記述するには言葉が必要だが、この知の変化はもともと言葉ではあらわされなかったものである。

 子どもの行動の観察から、子どもの直観的理解を言語で記述し、子どもの「行為の中の知」についての理論が生まれ、それらは実験的検証にかけられる。子どもが「行為の中の理論」を構成しているのと同様に、私たちは子どもの理論についてその場で仮説を作り、私たちの理論の真偽を確証するため、仮説を実証できる。

 

実践の中の省察(Reflecting-in-practice

 

 ブロックの例は「行為の中の省察」の例だが専門家の実践のイメージとはほど遠い。実践とは何なのか、いままでの議論とどう関連するかを見る必要がある。弁護士の「プラクティス」はある範囲の専門的状況における達成的な行為である。専門家の実践は繰り返しの要素を含む。専門的実践家は一定のタイプの状況に繰り返し出会うスペシャリストと言える。例えば医師は、様々なはしかの症例に出会う。それによって予期やイメージ、反応のレパートリーを発達させ、自分の実践をプラクティスできる。同じタイプの事例には専門家は驚かなくなる。「実践の中の知」はますます暗黙に、無意識に、自動化される。実践家とクライアントは専門分化の恩恵に浴する。

 専門分化の負の効果としては1人の中で高度に特殊化され、視野の偏狭をもたらすことがある。これによって経験と理解の全体性はばらばらになる。また実践が反復と決まりごとになると、「実践の中の知」が暗黙で無意識的になり、自分のいましていることを考える重要な機会を逃す。そして訂正できない誤りのパターンに陥る可能性がある。実践家は「行為の中の知」というカテゴリーに合わない現象に選択的に注意を向けない。それで退屈やバーンアウトに苦しみ、偏狭さのゆえにクライアントを苦しめる。これは「過剰学習」と言える。

 

 実践家の省察は「過剰学習」に対する中和剤になる。実践の反復の中での暗黙の理解を明らかにし批判できる。経験する不確実性や独自性という状況の新たな理解が可能になる。自分の「実践の中の知」に「ついて」省察することもあるし、同時に実践している真っ最中にも実践について省察することもある。これは行為の中での省察である。

 「行為の中で省察」は今や「実践の中の知」の複雑性から考える必要がある。実践者の「行為の中の知」は非常に迅速なものではない。現在の行為が状況に対し変化を生み出し続ける時間の範囲に制限され、実践の活動のペースに応じて分~月まで広がりがある。例えばオーケストラの指揮者にとって1つの演奏を実践する1単位は数時間であり、1つのシーズンを1単位とすると数か月である。

 

 実践の中での省察の対象は、目の前の現象の種類や彼が持ち込んだ「実践の中の知」のシステムに応じて変化する。例えば判断の基礎となる暗黙の規範や評価、行動パターンの中に暗黙になる方略や理論、行為についてある特定の過程をとるよう導く状況への感情(感じ)、解決しようとする問題に枠組みを与えるやり方などである。

 現象が「実践の中の知」という通常のカテゴリーでとらえにくい時もある。現象が特異で不安定な時である。つまり現象についての理解をとらえなおし、批判し、新たな記述を構成する必要のある時、自分が抱いた感情を明確化して現象についての新たな理論に到達する必要のある時、対処可能な問題へと容易には置き換えられない問題状況に陥った時などである。

 問題を再設定するとは、実践者がその状況に新たな枠組みを課そうとすることだ。例えば両立が不可能で、相反するように見える要求に直面した時、自分と他者がその状況に対して与えた評価を省察することで応えることができる。ジレンマに気づいた時、そのジレンマを自分の問題のとらえ方や自分の役割に対する枠組みの与え方の問題と捉え、その状況で危機にひんしている価値を統合、その中から選択することができる。

 

 「行為の中の省察」の事例としては銀行家の投資リスク判断がある。また眼科医では症例の80%以上はなじみの診断に入らないので症例を理解する新たな方法を探索する必要がある。

 トルストイはなすことによって学ぶデューイのアプローチをメソッドでなくアート と言っている。あるものの困難は別の人には困難ではない。よい教師とは、生徒を悩ますものは何かを詳しく説明できる人であり、こうしてそれを克服する方法を考えだせる。あらゆる方法は一面的である。アートな教師は読みを学ぶ子供の困難を子供の欠点でなく、「自分自身の教授の欠点」と見る。このためには困難を克服する小さな実験的研究が必要となる。

 MITの教師養成で、最初1人の子供のコミュニケーションミス(指示に従う能力がない)とみなされていたものが、詳細にプロセスを見ると彼なりに教示に従っている事実が判明し、教師はその子が「できない子」という認識を改めた。子どもが困惑した行動をとる時の「意味」を教師は発見する必要がある。

 

 上記の例は通常の期待の範囲をこえた何かがある。何か間違った感じや、医学書に書かれていない疾病の結合をとらえること、生徒の誤りの背後にある意味に気づくことなどである。そこでは不確かな独自の状況の中で、驚きや困惑、混乱を経験できている。自分が直面している現象について省察し、行動の中で暗黙となっていたそれまでの理解について省察している。そしてその現象の新たな理解と状況の変化とを共に生み出すのに役立つ実験を実行している。

 行為の中での省察においてその人は、実践の文脈における研究者となる。すでに確定した理論・技術カテゴリーに頼るのではなく、独自の事例についての新たな理論を構成している。目的に対する手段を考察するだけでなく、問題状況に枠組みを与えるように目的と手段を相互作用的に規定する。

 思考することと行動することを分けないで、行為へと変換していく決定の方法を推論する。彼の実験は行為の一種であり、行為の実行が探究へと組みいれられていく。この「行為の中の省察」は「技術的合理性」の二分法に縛られていないので、不確実な独自の状況でも進めることができる。

 

 「行為の中の省察」は通常とは異なるプロセスだが珍しくない。これは実践の核だが、専門職化を技術的熟達化と同一視することが主流の中で、「行為の中の省察」は専門家の知の正当な形式として受けいれられていない。実践家の多くは、技術的熟達者として自分を縛っていて、実践の中で省察をもたらすものを見出せない。そこでは選択的不注意したり、例外を排除したり、状況の統制などをしてしまう。こうして「実践の知」の安定性を保とうとし、不確実性を脅威ととらえることが弱点の1つとなる。

 一方、「行為の中の省察」に傾倒し、その省察に熟達したものは、自分たちの方法について知っていることを言葉にできない。自分たちの思考の特性や厳密性を正当化して述べることができないためにもどかしさを感じている。

 

 「行為の中の省察」の研究は極めて重要である。厳密性か適切性かというジレンマは、実践的認識論を発展させる中で解決できる。技術的な問題解決を省察的探究というより広い文脈の中に位置づけることで、「行為の中の省察」が独自の意味において厳密なものになりうることを示す。これは不確実性と独自性における実践の技法を科学者の研究の方法と結びつける認識論である。

 

Ⅱ 専門家のための示唆と社会における専門家の位置

 

 反省的実践家はクライアントに対して、「ブラック・ボックス」に盲目の信頼を持つように要求するのではなく、実践家のあるがままの能力の事実に開かれていることを要求する。クライアントは自分が援助を求めている状況を探究することに実践家と共に加わる。彼自身の暗黙の理解について反省することに同意する。

 反省的な契約によって、専門家が熟達者の役割を演じるのではなく、不確実性をあらわにすることができる。彼の中の「実践の中の知」を公に反省し、自らクライアントと向き合う存在となる。実践家が自分自身の実践の研究者になることは、自己教育の継続的な過程に関与することである。不確実性によって生じた誤りを認識することは自己防衛の機会ではなく、発見の源になる。実践家が自分自身に「何が私を満足させているのか」、「どうすればもっとそんな経験ができるのか」を問うことは彼を自由にする。

 

 専門知識を押しつける統制型のクライアントとの関係は、行為の中の省察に対する潜在能力を抑制してしまい訂正できない誤りが持続する。状況の中で誤りを発見し訂正するため上記の条件を軽減する必要がある。状況が不確実であれば、そのモデルを構成し、検証することが必要だし、記述やルールがあいまいであればそれらを正確にする必要がある。専門知識の押し付けの中ではそれは難しい。

 そのためには防御心の克服が必要となる。専門家はジレンマ(状況に対する理解を伝えたいがクライアントを不安にさせる可能性もある)を表明するとともに、クライアントが状況の中で経験するジレンマや否定的感情を明るみに出すように援助する。そして専門家の言ったことに対し、クライアントが自分の見方を提示していく。

 

 研究と実践について、現在実践者と研究者は異なる世界を生きるようになっている。実践者が不確実で、不安定で独自で、葛藤をはらむ状況の反省的研究者になることで、研究と実践の関係を作りなおせるのは明らかである。研究は実践者の活動を通じて直ちに行為につながる。実践者によるフレームあるいは理論検証実験が同時に実践状況を変えていく。理論と実践の「交換」、あるいは研究結果の「実行」に何ら疑問はない。

 実践者の「行為の中の省察」の能力を豊かにするため、実践の直接的文脈の外で遂行することが可能な研究もある。それが「反省的研究」であり次のようなものである。

①フレーム分析 実践者が問題と役割に枠組みを与える方法についての研究

②実践者が独自の状況に持ち込むレパートリーを築く助けの研究

③事象を探究する方法と事象をつなぐ理論に関する研究(実践者がその場その場で発展させてきたバリエーションの中から)

④「行為の中の省察」の過程自身についての研究

 

 フレーム分析とは、フレームによって注意の方略が決定し、この方略によって状況を変える方向性と実践を形成する価値が決められるというものである。自分のフレームに気づけないとフレームを選ぶ必要に気づけない。そこに気づくと自分たちの暗黙のフレームを行為の中で省察する必要性を理解し始める。フレーム分析は問題の設定と解決の経験、役割フレームの特定の選択に本来的に固有の自己定義の成功と失敗についての定義を伝える。

 

 レパートリーを築く研究にはビジネスの事例研究などがある。そこでは

①直接その状況の「解決空間」を構造化すること

②ビジネスの問題についての思考様式を示す

ことが示されている。事例は、事例の書き手が探究の終わりになってはじめてあらわれたその事例についての見解を最初から利用可能であったように書くという歴史的修正を含んでいる。

 

 探究と理論の橋渡しをする基本的方法に関する研究では、技術的合理性の下と違う意味での理論と方法が必要となる。実践にとっての基本的な方法と理論は、当初自分にはそぐわないように見える新しい状況を理解するスプリングボードとして活用するようになった方法や原理がある。橋渡しする理論とその理論と不可分な包括的な探究方法はその理論が状況にあっていると確かに言えるように状況を再構成する。実践者が説明できるよう起こっていることを再構造化する。 

 2種類の理論と方法に関する研究がある。

①この再認識と再構築の過程がいかに働くかを、実践のエピソードを検証することで発見する

②理論と方法は「アクション・サイエンス」の形態を取る。クルト・レヴィンが主導した。行為の文脈を持ち、体系的省察に時間注ぐ必要がある。

 

 「行為の中の省察」の過程に関する研究では、省察を促したり妨げたりする事がらの発見が行われる。例えば固定化しステレオタイプ化したカテゴリー、成果が乏しいところから来る恥の感情などである。

 

 研究者と実践者は従来と全く異なる協働の様式をとる。実践者は昔は、研究者の成果を消費するものだったが、いまは実践に持ち込んだ思考様式を反省的研究者に明らかにし、自分自身の「行為の中の省察」の手助けとして反省的研究へと接近する者となる。

 反省的研究者は実践の経験の内側を獲得し上記の研究に従事し、実践者に対するコンサルタントの役割をとる。反省的研究は実践者の継続教育の一部になる。研究者は実践者に対して参与観察の関係に立つ。実践者は時間をかけて反省的研究者になる。大学院も変わる、企業なども反省的研究の場所を作る。

 

 

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