「サーバントリーダー(The Servant as Leader)」ロバート・K・グリーンリーフ(1991)の要約

 

前文

 

 これは学術よりも経験や調査から得た思索の過程の記録である。この小論文の背景にある2つの懸念は次のものである。

1、社会を動かす活動を支える本質的な力は、奉仕し導く能力を持っている人々の信頼関係が醸成されることにあり、思想、仕組み、運動ではない

2、他者に奉仕する人間は人を導くことが苦手であること。そして今行われている教育は、奉仕者でありリーダーとしての個人を育成するには効果がない。

 

サーバント(奉仕者)とリーダー

 

 一人の人間は上記2つの役割を果たし、現実世界で稔り多い一生をおくれると考える。「サーバント・リーダーシップ」の源泉は、ヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」のレオにある。この物語の意味は、「優れたリーダーはサーバントである」というところにある。レオはリーダーであったが、その前にサーバントだった。生まれながら(地位ではなく)のサーバントに、リーダーシップが授けられたと言える。

 

 東方巡礼について述べる理由としてヘッセの言葉を現代の「予言」として耳を傾けることが生じ、私たちはなぜ私たちの中にある予言的な声に、耳を傾けないのか考え始めた。予言はあらゆる時代に存在し、はっきりした声で常に説得力をもって我々に語りかける。心穏やかな生き方と人間のあり方を予言として指し示す。予言的に豊かな時代、貧しい時代はあるが、それは聞くものの関心、探究心、敏感さによる。人々が反応すれば予言者の才能が開花する。「予言はそれを求めるものによって成就する」のである。昔の知恵の中にも現代の予言をみる。昔と今の人の言葉を融合させ、人生で試すことで、自分独自の立場を確立することができる。

 

 どんな人も予言において重要な役割を果たしうる。人がサーバントであるなら、その役割はリーダーであろうと従者であろうと、その人は常に誕生しつつある本質的な動きに目を凝らし、耳をすまし、そして待つ。それはいつ現れるかわからないが、経験を積むことで、それを発見できる者もいる。現在多くのサーバントがこの世をありのまま見つめ、予言者の声に耳を傾けている。自分たちが合理的で実現可能と思う社会と、本来社会に奉仕するために存在しながら、組織維持だけに動くあらゆる組織の愚行の間のギャップと激しく戦う。

 

 新しいパワーとオーソリティの見方は次のとおりである。人が忠誠を誓うのに値するオーソリティは、リーダーの持つサーバントとしての能力の結果として、フォロワーが進んでリーダーに与えるものである。サーバントであると証明され信頼されているリーダーにのみ反応する。こうした傾向が社会を形作る主たる力になることは、私の目にあきらかである。そこに到達していないが、夜明けは近いことが見える。

 

 この動きが、どういった方向に私たちを導くのかは、影響を及ぼす人たちが人間社会でどのように生きるべきかという問題に取り組めるかどうかにかかっている。不正と偽善に強硬な態度を取る人は、よりよい社会を積極的に築く人間になることは難しいこのうち何人が、困難な選択をし、よりよい社会を築くために必要な、大変かつ必要な準備を引き受けることで個人的満足を得ようとするか?すべてはどのようなリーダーが出現し、私たちがどのようにリーダーに反応するかにかかっている。

 

 より多くのサーバントがリーダーとして出現すべき、サーバントリーダーにのみ従うべきという私の理論は一般にはあまり受け入れられていない。安易な考え方を選択する方が楽だからである。例えば社会が頽廃していれば体制とのかかわりを避ける隠遁へ、組織をよくしようとしてもうまくいかない場合は、組織を壊して一から作ろうと考える方向である。サーバントリーダーのコンセプトは、こういった考え方と好対照の立場を取る。批判はかまわないが、それだけでは無益であり、不正を調査することばかり専念すると逆行する。

 

 カミュは予言者に値する。私たちの誰もが、自分という存在と正面から向かい合うべきという厳しい態度を取る。カミュ最後の講義録は「Create Dangerously」である。アーティストにとって激しい闘争のまっただ中こそ平和な場所生活の中の壁こそドア、すなわち出口がある。闘争の中にこそ休息があるとする。

 素晴らしい考えは鳩のように穏やかにやってくる。注意深く耳を傾けることで、生きる希望をかき立てる何かを聴き取ることができるだろう。誰であっても自分自身の苦悩と喜びを土台として、自分自身を築くというのが真実である。苦悩をも土台にせざるをえない。だから永遠に脅威を与え続ける。

 

 人はおかれた状況や苦しみ、喜びを受け入れ、創造的な活動を通じて、自分の全人格を形成する土台を作りながら、己の不完全さと向き合うことが求められる。クリエイティブな能力を持つ人は、それを使うことなく、全人格の形成はあり得ない。サーバントとリーダーの融合は一見して危険な創造のように見える。例えばサーバントがリーダーになるのは危険、リーダーがまずサーバントであるのは危険、従者がサーバントに導かれるのは危険に見える。

 それではなぜこれを主張するのか?2つの問題点がある。レオについて考える中で、私は「サーバントとしてのリーダー」の概念に至った。自分の中にカオスと矛盾がある(そこに創造がある)。コミュニティの中の個人主義、人民主義とエリート主義の混在がある。小論文シリーズで自分の体験を述べていく。

 

サーバントリーダーとは誰のことか

 

 サーバントリーダーは何よりもサーバントである。初めに奉仕したいという自然な感情があり奉仕することが第一であり、その上で導きたい感情がある。権力欲、物欲のある人は奉仕を後回しにする。そこではリーダーシップが優先される。まずリーダーである人物、まずサーバントである人物は両極端である。

 

 まずサーバントである人が気を配る優先順位が高いニーズは次のとおりである。

・奉仕を受けている人たちは、人間として成長しているか

・奉仕を受けながら、より健康になり、賢くなり、より自由になり、より自律的になり、自分たちもサーバントになりたいと感じているか

・社会で最も恵まれない層に与える影響は?その人は恩恵を受けるだろうか?少なくともこれ以上搾取されないだろうか?

 

 奉仕する際、これが相手ののぞむ最善の行為であり、最良の結果をもたらすと知ることができるか?確信を持つことはできないが、勉学、学習を繰りかえし、仮説を再検討し続ける必要がある。自分の行動の結果が試されるのはずっとあとになる。賢い仮説であるという選択を支えるものは自己洞察である。

 この自己洞察に基づく信念を持っていることが、真のサーバントの最も信頼のおける部分である。まずサーバントであるためには、相手のニーズに応えるために、相手の立場で考え続け、気持ちを察する力に磨きをかける傾向がある。大衆の中には、ゆくゆくリーダーとなるような真のサーバントがたくさんいる。奉仕するふりをする人と真のサーバントを見分けられるようになる。

 

すべては個人のイニシアティブから始まる

 

 私たちの未来は、インスピレーションを持つ個人の創造力による。これは少数だが、でもその人から学ぶことができる。進むべき道を示すリーダーシップは、インスピレーションへの並外れた率直さから生じる。今多くのリーダーがこれを示せていないため体制維持に走っている。

 

 リーダーに求められるインスピレーション以上のものとは、「私は行く。私と一緒に来なさい」と決然と言うことである。先導し、アイディアと構想を提供し、成功のチャンスとリスクを引き受けることである。

 

あなたは何をしようとしているのか

 

 リーダーは他者に方向性を示すことに優れている。重要な目的、大きな夢、ビジョン、目指すべき最終地点である。現状では手が届かないが、努力して追い求めるものに挑戦させ、それに向かうことに誇りを持てる。リスクの高い目標、非現実的な目標を掲げることは、リスクを強いることになり、より信頼が必要となる。夢がなければ大きなことは起こらない。

 

聞くこと・理解すること

 

 あるリーダーはニュースを見るのをやめ、職場関連の人に世の中で何が起こっているか話してもらうことをした。粘り強く人の話に耳を傾けることは、進むべき道を設定するのに必要な眼識を与えてくれる。

 生まれながらのサーバントは、まず話を聞くことによって問題に取り組む。聞くことを学ぶ必要がある。あらゆる問題に対する反応は、まず聞くことという考え方に基づいて訓練を積む必要がある。心から話を聞くことは、他人の心に強靭さを植え付ける。「神よ、私は自分が他人を理解するのと同じほどに人から理解されたいとは願いません」。

 

言葉と想像力

 

 わかるためには、実体験と照らし合わせて意味を理解する想像力が求められる。言葉の上での概念と聞き手の経験を結びつける能力が必要となる。自分たちのグループだけで通用する言葉は、他人をリードする機会を犠牲にする。

 

身を引く~自分に最適なものを見つける

 

 プレシャーを求め緊張時に結果を出す人、結果が大事なのでプレッシャーに耐える人、この両者にとって役割からはなれ、少し後ろに下がって身を引くことは有効である。前者には息抜きに、後者には不快な状況に対する防衛策になる。

 

 身を引いて自分をもう一度見定めることは何かを軽視していると批判を受ける可能性があるが、実際は1つのシステマティックな怠惰という技をその人が身につけ、重要なものとそうでないもの、重要なものと緊急を要するものをみわけることにつながる。緊急事態に対応するエネルギーを温存しておく必要もある。自分の才覚を有効に使う最善策、つまり「どうしたら最もよいサービスができるか」を問う必要もある。

 

受け容れることと共感すること

 

 受け容れることは、賛意・満足感あるいは黙認をもって申し出られたことを受けることである。共感することは自分自身の意識を他人の意識に投影することで、反対語は拒絶である。サーバントはどんな時も受け容れ共感し、決して拒絶しない。能力に見合った努力を求めることはある。

 私たちは不完全な生き物であり、リーダーの部下への関心と愛は「それに見合う値打ちが自分になくても居ることができる何か」、つまり共感と無条件の受け容れを提供する。不完全であることに対する忍耐を要する。そしてこうした人が上手にリードされると世に大変貢献する人物になる不可思議さがある。不完全な人と一緒に働けないのは、リーダーとして資質がない。自分を導く人が自分に共感し、ありのままの自分を受け容れてくれると、能力や成績を批判されてもぐっと成長する。リーダーも信頼されるようになる。

 

知ることができないことを知る

 

 リーダーに必要な知的能力は、知ることができないものを知るセンスと予見できないものを予見する能力である。意思決定に必要な情報を100%得ることはないので、直感による洞察と優れた感受性によって創造力、地図にない領域を進む力が必要となる。直感はパターンに関する感覚で、本質を把握する能力である。直感に決断をかけるときを知る必要がある。これは日常のではなく、抽象度の高い次元で発揮される。

 

予見・・リーダーシップの中心的倫理

 

 今からライトの光が放射される。中心部は時計の刻む時刻であり、光は無限に過去と未来に放出される。これが予見できないことをもっとよく知りたいと願う人たち(リーダーの印)のために今をみるたとえである。

 先見の明がある人は、ある種の移動平均的思考をする。過去・現在・未来は1つであり、一緒になって時計の針が進むにつれて移動するものとして時間をとらえる。マキャベリは「遥か未来に起ころうとしている悪事を見透かす。そうすると回復するのが早い。そう言った知識がないと、皆が気づくようになるまで大きくなり続け救済策なしになってしまう。」と言う。

 

 将来の出来事の輪郭は、現状のデータから割り出すことが可能である。ただし情報ギャップがある。直感を裏付ける状況を作り出す必要があり、常に「いま」を過去・現在・未来の有機的まとまりとして動態的にとらえることでそれが可能となる。それはある種のリズムに従って生きることである。無限の過去から現在へ、そして無限の未来へとつながる出来事のすべてについて高レベルな直感的洞察を促す。リーダーは歴史家、アナリスト、予言者である。

 

 サーバントリーダーは他人の重荷を背負いながら、先頭に立って道を示す。道は厳しく混乱だらけで高いストレスにさらされる。そうした状況でも最大限の業績を上げる直感的洞察が得られる信念によってその役割を負える。その信念を持つ以外に、荒れ狂う世界情勢、不確かさの中で平静を保つ方法はない。この信念のもとで、まず状況を理解するために分析に集中し、その後分析からはなれ、演繹的なプレッシャーから離れる。そして創造的ステップによる直感的洞察を行い、この過程で現在を中心に過去と未来を行き来する。現在を時間の幅としてとらえる。予見とは現在の出来事を過去の出来事と照らし合わせ、同時に未来の出来事に投影することである。

 今日の多くの道義的妥協は、今日の出来事を予見し適切な行動をとらなかったゆえの落ち度と見なされるかもしれない。予見がなければ目の前の出来事に反応してしまうだけになる。予見し、まだ選択肢があるうちにその知識に基づいて行動を起こさないのは、リーダーシップの欠如から生まれる。

 

 先見の明をもつためにはスギゾ的生活を送ることが必要となる。そこには次の2つの意識レベルがある。 

1 現実界 他者とかかわり責任を持ち、効果的に役割を果たす

2 超然レベル 歴史という観点から限りない未来に自分を投影する。今日の出来事に関与している自分を見つめつつ超然としている。これによってはっきりした分別と広い視野をもてる。

 

認識・気づきと知覚

 

 認識・気づきのために、回りの状況から感じとれる兆候を生かせるように知覚というドアを開く。リスクを伴うが人間の力量を強化する。将来の予見の必要のため無意識のコンピューターに詰め込む。知覚のドアを浄化することで、すべての物事がありのまま見える(ウィリアム・ブレイク)。通常は非常に狭い知覚で動き回るが、微妙なもの、小さな経験の中の重要なものを見落とす。ドアを開けすぎると見えるものを受け容れられない。

 リーダーシップの適性は、物事をよりよくありのままに見ることに耐えること、広い範囲の認識・気づきに耐えることにある。気づく力は、危機、脅威、警告の中でも距離を置いて考える基礎を作り、自分を第3者的にみることを可能にする。重要なことを見分け、それに取り組めるようになる

 これは安堵を与えるものではなく、その逆で混乱を起こし覚醒させる。有能なリーダーは覚醒していて程よく混乱している。安堵を求めない。しかし独自の内なる静穏を持っている。

 

 リーダーは未知のことに対峙する自信と心構えが必要である。その一部は未知の事態を予期しそれに備えることで培われる。ストレスに満ちた生活のなかで、創造的プロセスで事態を効果的に解決できる信念で落ち着きを得るためには身を引く態度が必要となる。例えばキリスト が地面にかがみ込んで書くことをしたように、ストレスを払ってクリエイティブな洞察と認識と気づきの扉を開く。

 

説得・・一度にひとりずつ

 

 リーダーの役割はさまざまである。ある人は制度上の大きな重荷を背負う。又ある人は静かに一度にひとりの人間とだけ向き合う。ウールマン(クエーカー)は独力でクエーカーから奴隷を解放させた。200年後の人は「今の時代に人と人との間に築いていた制度・関係」をどう考えるかを考え、30年間奴隷解放の目標のために捧げた。反対運動をしたのではない。紳士的で粘り強く説得した。

 その質問は、道徳的人間として奴隷を所有することはあなたにとってどんな意味があるか問うものであり、どのような組織に自分の子どもたちを委ねたいと思いますかと問うものだった。もし5人のウールマンがいたとしたら戦争が起きなかったかもしれない。それは決定的違いを生む。暗闇に見える時代にリーダーシップを発揮した。

 

一度に1つの行動・・大きなことを成し遂げる方法

 

 サーバントリーダーの可能性がある人物に対し、その力を最大限発揮できるよう援助する役割が年長者にある。ジェファーソンは戦争時、重大な任務を各方面から執拗に頼まれるが、すべて断った。それは「自分が何者であるかをよく心得ており、常に真の自分自身であろうと決意」したためで自分の役割を自分で決めた。それは独立宣言に託した夢に向かうための法律が必要になると信じ法令集を書き進めることであった。例えば教会と国家の切り離しがこの中に含まれている。

 憲法草案ができたころは、彼の役割は終了し、別の仕事をしている。フラストレーションはあっても、自分が何者であるかをよく知り、常に自分を失わないと心に決め、一度に一つだけ行動を起こすことでリーダーは目標を達成できる。

 

概念化・・重要なリーダーシップ能力

 

 19世紀のデンマークの農夫は、生活を荘園の所有者、役人に依存し文化も専門技術もない状態から、豊かな中流階級へと移行した。そのなかで土地の所有権と選挙権の改革では不十分と考え、新しい教育構想を練ったのがグルントヴィである。青年たちが寄宿してデンマークの歴史、神話、詩を集中して学べる民族高等学校のコンセプトを築き、50年間学校作りに邁進した。

 教養ある人は背を向け血迷った空想家と呼んだが、農民は耳を傾け、リーダーたちが民族高等学校を立ち上げた。若い農夫が民族高等学校で触発を受け、農業学校で学び、協同組合などを設立し、2つのショックからデンマークを立ち直らせた。

 

 これは人間のリーダーシップという概念から生じた注目すべき社会的、政治的、経済的変革である。自分自身は学校を設立し、運営したわけではない。しかし農夫に愛情を注ぎ、農夫たちが自分たちのために何をすべきかの明確なビジョンを示した。それは彼らの精神さえ鼓舞されれば自立できる強さを持ち、彼らは大切な価値ある人々であるということである。

 

そして今!

 この3つの例は、公益に貢献する非常に異なったタイプのリーダーシップを示している。その時の状況によって生じたもので、モデルを参考にできない。その場の状況に対して新鮮で創造的な反応がなされる。

 現代のどのようなリーダーシップへの努力が、今から百年後に強い影響力を及ぼしているか。

 

ヒーリングとサービス

 

 ヒーリングとは無傷に戻すことであり、現実にはムリである。これに携わる人のモチベーションは自分自身の癒しのためである。サーバントリーダーと部下の間にも「無傷に戻すことを求める」暗黙の了解がある。アル中患者救済協会におけるある篤志家のアドバイスは、お金で解決できる問題とそうでない問題がある。この仕事はお金ではできない。「あなたたちは貧しくなくてはならない。仕事するのにお金を使ってはならない」というものであった。ヒーリングとサービスは2つの全く異なるものの見方である。

 

コミュニティ(共同体)・・現代の失われた知識

 

 現代はコミュニティが失われた。子どもは孤児院ではダメで、本当のコミュニティが必要である。犯罪者にも刑務所ではダメでコミュニティ必要である。病院ラッシュは本当に患者と家族のためになるか。学校はコミュニティを破壊し個人が出世するためのメカニズムになっている。知的障害者施設は管理監督に重点を置いているが、小さなコミュニティが彼らを向上させる。愛情を必要とする人的サービスは、コミュニティから隔絶した施設で提供できるはずがない。愛には限りない責任があるが、組織はそこで働く人の責任に制限を加えるものである。

 

 愛を必要とする人的サービスの場合、コミュニティが必要になる。他人に対する個人の責任、ひとりに対する全体の責任に限りがなく、人と人とが差し向かいで生きる人々のつながりを必要とする。こうした中で信頼と尊敬が高まる。全員の志を高める倫理が強化される。コミュニティなしでこれらを学ぶことは難しい。人はその愛をコミュニティではない組織とのかかわりに持ち込むことができる。現代の若者のコミュニティへの渇望は、社会の変化の兆しである。

 

 生活の形としてのコミュニティの再建は、サーバントリーダーの行くべき道を示すことである。ひとり一人のサーバントリーダーが、コミュニティに類するそれぞれ属する団体に限りない責任を果たす必要がある。

 

組織

 

 非コミュニティ組織の構造を基本的に改善する必要があるが、それにはコミュニティの基礎知識が必要となる。ビジネスの第一の任務は、組織の影響によって、より大きく・より健康に・より強靭に・より自律的に成長する人たちの集団を作り上げることである。

 従業員参加などのマネジメントのちょっとした方法は、人を育成する組織では問題ないが、人を利用する組織ではアスピリンのように痛みを緩和し、人間を利用する会社としての運命を無駄に長引かせる。組織とは、人間第一という確固とした背景の下でのリーダーシップで、人間を育成する方向でスタートするものであり、そこでおのずと適切な活動が行われる。

 

トラスティ

 

 組織には次の2つのリーダーが必要とされる。

 1、実際の日々の任務を果たす人

 2、組織の外から大所高所でみて、リーダーを監督する人間、つまりトラスティ

 トラスティは絶対的に信頼される人間で、組織で問題が起こったとき最後のよりどころとして裁判官の役割を果たす。有形資産は法律上は彼が所有者となり、利害関係者すべてに責任を持つ。目標形成過程とその達成過程に関与する。オーソリティはあるが、問題を知ること、たずねることで影響力を発揮する。

 トラスティのチェアパーソンはトラスティたちに奉仕し先導する。トラスティの役割は奉仕し先導したいと思う人たちに実行の機会を提供することにある。有能で献身的なサーバントリーダーたちをトラスティとして活用すれば、トラスティ組織の立て直しができ、社会全体の質を高める。

 2つの問題は有能なサーバントリーダーの数そろうかどうかと、数がそろっても変革を起こす洞察力を備えたタフさがあるかである。

 

パワーとオーソリティ・・強さと弱さ

 

 パワーには大きい集中と小さい集中がある。サーバントの説得力と模範は機会や選択肢を与え各人が自律の道を歩めるようにする。人が人を支配し操ると決められた道を無理やり歩まされ、自律性が低減する。これは威圧的パワーである。私たちは思うより威圧的なパワーの下にある。それと気づくようにもっと警戒する必要がある。

 この不完全な世界で他の道を知らないこともある。パワーに裏打ちされたオーソリティも認める必要がある。でも、よりよい道を探す価値はある。威圧的パワーはそのパワーが強力な間しか及ばない。説得と絶え間のない心からの受け容れは、系統的で次に受け継がれるパワーになる。人はある時点で、ありのままの威圧に近づきそれがどんなものであるか知る必要がある。人間的であるには苦しさと優しさの両方に近づく必要がある。定義上はサーバントは人間的である。サーバントリーダーは機能の点で優れている。大地により近い。

 

サーバントをどのように見分けるのか

 

 見分ける方法はない。ただその人の与える真の影響が、人を豊かにするのか、凡人並みか、それとも人を萎えさせるのかを知ることは重要である。ビッグナースは強くて献身的だが支配的で、周りを操り、人から搾取し、萎えさせる。患者マクマーフィは、人を育み、患者と医師両方を強く、健全に成長させる。

 

外にあるのではなく、ここにある

 

 王が孔子に盗賊について問うとその答えは「あなたが物欲にかられていないなら、盗むことで報奨金を与えても盗みなどしないでしょう」であった。これは支配することで恩恵を受けている人には堪え難い。

 サーバントにとって、世の中のあらゆる問題は外部(自分以外)にあるのではなく、ここに(自分の中に)あるものとしてみる。変革のプロセスは自分から始まる。喜びも自分の中で作られる。世のよい部分も悪い部分もそのまま受け入れ、よい部分と自分を一体化する人たちのものである。レオの存在感から明らかな精神世界の豊かさは、周りの人たちを向上させ旅行を可能にする。

 

誰が敵なのか

 

 合理的で実現可能なよりよい社会を阻むのは誰か。よい社会とは何かを明確化することを阻害するものは誰か。悪人でも、愚かな人たちでも、無関心でも、体制でもない。反対・破壊する人でもないし、革命家・反動主義者でもない。本当の敵は、善良で良識があり、重要な立場にある人のあやふやな考えと彼らがリードできないこと、およびサーバントリーダーに従うことができないことで、これらの人が評論家や専門家で終わってしまうことである。不完全な世の中に、よりよい組織を作り上げる困難でハイリスクな仕事を引き受けようという意思も覚悟もない。問題は外にあるのではなく内にあることを悟らない。

 

 敵はリードする能力を持った強靭で生まれながらのサーバントでありながらリードしないものである。あるいはサーバントでないリーダーに従うことを選ぶものである。自分も苦しみ、社会も悪くなる。

 

帰結として(インプリケーション)

 

 上手にリードする人間が居ない限り、ましな体制であってもよい社会は作れない。大切なことは次の2つである。

 1、リードする能力のあるサーバントはリードしなくてはならない。

 2、それが適切ならば、従うものはサーバントリーダーにのみついていかなくてはならない

他のことにはあまり意味がない。サーバントリーダーが直面する現実性は「秩序の現実性」である。ある程度の秩序は必要で、自由を失っても大多数の人はカオスよりも秩序を選ぶ。新たな世代の大きな課題となる。

 

 社会を変革する唯一の方法は、それを変革してくれる十分な数の人間を作ることである。現在の戦争、環境破壊は人間による過ちによってここに存在する。新しい社会の建設者としてのリーダーを育てる必要があり、これが第一優先順位である。これができればイデオロギーにかかわりなく体制はうまく機能する。「正しく物事を成し遂げるために、どういった方法ですべきか」。これをするリーダーの下でその努力に感銘を受けた人が成長し、より健全になり、より強靭になり、より自律的になり、より奉仕の精神に富むようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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