災害とともに高齢期を生きる

●今週、人と防災未来センターという団体が主催する講座をオンラインで受講した。テーマは「テーマ 首都直下地震とわが国の防災・危機管理体制のあり方」ということだったが、南海トラフをはじめとする災害を広く取り扱う講座であった。いのちということに関連して、最近空いた時間を使って防災について学んでいるのだが、これもその一環である。

 

●これを学んで私は自分が変容したなと感じた。それは南海・東南海などの地震は100年の1度は起きてきたこと、そして次も起きることはほぼ確実であること、そして可能性の高いのは2035年の前後で、今後30年以内に「70%から80%」の確率で発生するという予測があるという知見を、我が事として受け取れた感じがしたからである。

 

●ここ数年還暦を迎える中で私は、老いの準備を考えざるを得なかった。しかし今まで考え、準備してきた中には、こうした災害と共に生きる私は想定していなかった。でもこうして学んでみると、私が死ぬまでにこの災害を迎える確率は無視できないほど大きい。つまり私らしく最後まで生き抜くためには、この災害に備えておく必要があるのだ。

 

●国は東北大震災の知見からM9クラスの地震も想定して被害の想定をしている。それによると最悪の場合、死者は32万人を超え、経済被害も220兆円にのぼる。紀伊半島や四国の太平洋沿岸では数分で津波が押し寄せ、私が住んでいる大阪でも、火災による被害に加え、上町台地という高台を除いて大きな津波、浸水被害が出ると予想されている。

 

●古文書にも江戸時代に南海トラフ地震が起きた際、家屋の倒壊を恐れた民衆が小舟に乗り込んだのだが、しばらくして河川を伝って津波が押し寄せ甚大な被害が出たと記録されている。次の地震が大きいバージョンであるか、昭和の時の地震のように小さなバージョンであるかはわからないが、何回かに一度はこうした大きな被害がでる地震になることは確実である。

 

●私は阪神大震災を経験している。その時もすごい被害だと思ったが、神戸の周りは被害を免れたので、それでも支援物資を運んだり、避難したりということが可能であった。被害総額も10兆円規模だった。しかしもし大きいバージョンの地震が来ると、関西から東海、四国、九州に至るまで多くのエリアが被災する。つまり助ける側に回れる人や地域が少なくなる。

 

●しかも日本という国は、すでに大きな財政赤字を抱え、パンデミック対応、戦争に伴うインフレ、供給力不足などにさらされていて、はっきり言って余力がない。多くの人が被災するだろうが、それを助け地域を復興するための資金を出す余裕は実際にはないだろうと思われる。つまりこの災害では自助、共助が以前に増して必要になる。

 

●2035年前後にこの地震を迎え、運よく生き残ったとしたら、私の70~80代はこの地震の傷跡と共に生きることになる。身の回りには支援が必要な人が溢れ、被災者支援が急を用する中で、高齢者を手厚く支援する体制は築けないだろう。こうした災害とともに高齢期を生きるためには、よくよく備えをしておく必要があると感じる。よく考えてみたい。

 

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