危険(リスク)社会2

●私が関わるYMCA学院高校で、筑波大学の土井隆義先生の「若者の生きづらさはどこにある」という講演会があった。私もオンラインで視聴したが、私にとって印象的だったのは、高度成長期にチャンスと捉えられた「変化」が、今の若い人にとってリスクと捉えられているという指摘である。すでに豊かさを享受している人には変化はマイナスになる確率が高い。

 

●また人間関係の面でもそれが言える。以前は組織や学校、地域で人間関係が固定化されていた。嫌な部分はあったせよ、そこでは居場所は確保されていた。しかし90年代半ば以降、人間関係は流動化し、今は自ら居場所を確保する必要に迫られた。そこで出てきたのが、いつでも仲の良い気の合う同じ仲間と居場所を形成する<いつメン>である。

 

●この<いつメン>の中にいると他のメンバーと価値観が似ているだけに、以前の固定的な人間関係より充実度が感じられる。一方そこから排除されてしまうと居場所を失うので、同調圧力が強まる。SNSでのいじめなどを分析すると、メンバーの視線はいじめられている人には向いていない。同じくいじめをしている他のメンバーに「どう見られるか」に注がれている。

 

●つまりグループ内部で承認を得ることが、居場所を確保するための必要条件となる。従って、例えば困りごと相談など、相手に負担をかける関わりはできなくなる。本当に感じたことや思ったことを伝えるなど<素を出す>ことができなくなる。自分がその中で一度獲得したキャラなどを変えることも難しくなる。ここでも変化はリスクとなるのだ。

 

●また同じメンバー、それも価値感の似た仲間だけと関わるため、新たな視点からのフィードバックを得ることが難しい。例えば何かにつまづいて自分はダメだと感じた時、別の視点から出来事をリフレーミングしてくれることがない。また率直に感じたことを伝えてくれないため、体験から学び成長することもできない。結果としてつまづいたままになってしまう。

 

●こうして若者は居場所を失うリスクを恐れるあまり、自己成長の機会や自分らしく生きることが失われるリスクにさらされる。これが「生きづらさ」の要因であると土井先生は指摘されていた。とてもわかりやすく、私にも納得できるなと感じたのだが、私は同時にこれは若い人だけの問題だろうかとも思った。むしろ私たちにも当てはまる部分がないだろうか。

 

●前回触れたように今科学的な知識が増え、その分リスクを認知することができるようになった。今私たちは人間関係のリスクの他にも戦争(核のリスク)、感染症、マイクロプラスチック、自然災害、金融危機、失業、病気・怪我などのリスク、フェイクニュースや陰謀論に巻き込まれるリスクなど数えきれない危険にさらされている。

 

●私たちはこのような多種多様なリスクがもたらす不安に耐えきれない。また全てのリスクを評価し、適切に対応する知識も時間もない。だから諦め、見ないようにして真に危険なリスクをも無視してしまう。また自分を信頼できなくなり、他者に付和雷同する。全部を引き受けてくれる強いリーダーに身を委ねてしまう。リスクを誰かのせいにして、責め攻撃したくなる。

 

●私たちは若者同様リスクを恐れるあまり、自分と他者を大切にし、自分らしく生きるという最も大切なことを失いつつある。リスクを認識するのは大切だが、それは自分らしくよりよくいのちを生きるためであるはずだ。ここを見忘れると、リスクがもたらす不安に支配され、知らない間に、より大切なものを失うリスクにさらされるように思う。

 

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