5月の大阪の悲劇の体験から学ぶ

(先週の土曜日にアップしたものに加筆修正をしています)

●今再び新型コロナウィルスのデルタ株の感染が急拡大している。私はオリンピックからは離れて、5月に大阪でコロナによって800人以上の人が亡くなった悲劇の体験を検証している。そこから学ぶことで、これから起きる悲劇を少しでも減らすことができる可能性があるのではないかと感じているからである。

 

●調べてみてすぐわかったのは、コロナという病気は感染してもすぐに医療を受ける事ができれば、ある程度重症化や死亡を防ぐ事ができるという事だ。実際、兵庫県尼崎でクリニックを開業している長尾医師の記事を見ると、コロナ専用ではないにせよ、医師の処方があれば使うことのできる軽症者用の薬もすでに5月時点で存在していた。

https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202102/0014063677.shtml

 

●だから5月の大阪の悲劇は、感染してもすぐに医療を受けれなかったことが主要因の一つと考えられる。つまり感染初期に医者に診てもらえず、薬ももらえなかったこと、さらに重症化の兆候をいち早く掴み、入院・治療などの必要な対処ができなかったことにより手遅れになってしまう人が続出した事が原因と言える。

 

●どうしてそうなってしまったか。第一にこの病気は感染症対策の法律によって、保健所という行政機関を通じないと医療を受けれない仕組みになっている事があるだろう。つまり検査をして感染している事がわかったら、例えばそのかかりつけのお医者さんの手を離れ、保健所の指示に従い、医療が与えられるのをを待たなければならない。

 

●そしてコロナを治療できる医療機関も限られている。日本では通常病気になればまず近くの診療所で診てもらい、重篤な病気や救急の場合だけ大病院に行くのが普通だ。しかしコロナの場合、基本的には、こちらが直接そうした診療所に行って診察・処方を受けることはできない。危険な感染症なので、国が感染者を隔離し、管理する強制力を持っているのだ。

 

●こうした仕組みは危険な感染症を押さえ込むためには必要なものだ。しかし感染者数が急激に増える局面では弊害が出てくる。このやり方では保健所という行政機関が、感染者の把握、医療提供の調整、患者の観察などすべての情報を管理する必要が出てくる。だから感染者数が増えれば増えるほど、限りある人員では情報をタイムリーに処理できなくなる。

 

●結果的に大阪では5月の連休の時には感染が確認された後、保健所から連絡が来るのが10日間もかかったことが報告されている。こうして感染してもすぐに医療を受けれなかったことが生じた。また1991年から2018年の間に、全国の保健所は45%、職員も19%減ったと言われる。こうした行政改革の中で「保健所縛り」のルールがより大きな災厄を生んだと言える。

 

●ルールということでいうと、オンライン診療など自宅療養者を診察し軽症の段階で薬などを処方する仕組みが整っておらず、待機しているうちに悪化する例が相次いだこともある。初診は対面でというルールに縛られていたのである。つまり4月~5月の時点では、自宅療養者の重症化を食い止めるすべがなく、自宅から搬送されたらすぐに亡くなるような人が続出した。

 

●もう一つ大阪の悲劇で忘れてはならないのは、高齢者施設でのクラスターの発生とその対処だろう。特に施設の介護が必要な高齢者の場合、コロナに感染し入院させると、看護の他に介護の世話が必要になる。しかし実際には感染拡大の時期にこうした対処ができる病院は少なく、症状が悪化しても入院できないまま施設に留め置かれるケースが多かった。

 

●こうした要因に加え、感染してもすぐに医療を受けられなかった大きな原因は、大阪で感染者数が急増したことだろう。すでにイギリスで感染力の高いアルファ株の猛威が伝えられていたので、手を打たなければ医療リソースを超える感染者数が出てしまう可能性があることは、当然予想できた。しかし十分な準備のないまま、日本の中でまずアルファ株の洗礼に晒されたのが大阪だったのである。

 

●そしてもう一つ付け加えておきたいのが、行政の対応の遅さである。すでに大阪では4月13日時点で1日の感染者数が1000人を超えていた。しかし大阪府が緊急事態宣言を要請したのが1週間後の20日、実際に国がそれを出したのは4月25日である。これがもう少し早ければ速くピークを抑えることができ、死者はかなり減少したと考えられる。

 

●さて今全国でデルタ株の感染が拡大している。そして大阪の悲劇から学んでいるところもある。例えば自宅療養者への診療の手引き、オンライン診療などが整備されていった。薬などの処方も行われていると聞く。また高齢者に向けたワクチン接種が進み、今の所高齢者の感染者、重症者は比率は劇的に下がっている。だから施設の患者がほっておかれる悲劇は防げるかもしれない。

 

●しかし「保健所縛り」のルールの中で、またかかりつけレベルのお医者さんで、コロナも診療してくれる人はまだ少ない中で、感染してすぐに医療を受けられる体制は整っていないように見える。最近承認された軽症者用の薬も入院しないと処方されない。その中で早くも搬送困難事例が増えていると聞く。例え高齢者でなくても、あまりに時期を逃しては治るものも治らなくなる。

 

●また備えも十分整っていない。自治体では病床の準備を多くするなど大阪の悲劇から学んでいるように見える。しかし例えば5月のアルファ株でもその危険性を把握して、入国管理で2週間の待機を厳格に実施していれば、大流行する時期をもっと遅らせられたはずだ。その時間で大流行に備えた病床の確保やルールの見直しは可能であった。

 

●こうして見ると、大阪のコロナの悲劇は、ある程度国などの選択した枠の中で起こったことだと言える。また今回のデルタ株による大流行も同様である。もし入国管理を厳格にして一ヶ月流行を遅らせられていたら、ワクチン接種が進み、もっと多くの人の苦しみは少なくできたに違いない。ルールももっと見直せたかもしれない。しかしそうした学びや選択はなかった。

 

●こうした現実の中で私が大切だなと思ったのは、4~5月にかけて自宅療養を強いられ、保健所からも連絡がない患者さんが、前述の長尾医師のところに駆け込んだという事実だ。つまり保健所縛りというルールはルールとして、自分のいのちを助けるために自ら救いを求めたことだ。そして長尾医師もそれに応え、保健所に掛け合うなど医療につながる動きが生まれた。

 

●私は日本という国に住み、病気になれば医療は受けられるという信頼を育んできた。しかしコロナの場合は必ずしもそうなっていない。法的には保健所を通じないといけないが、待っているだけでは自分を救えない。インドなどで酸素を自分で買っている人がいたが、何らかの形で自ら諦めずに「助けを求める」事がいざという時には大切なのではないかと感じている。

 

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