新型コロナウィルスと私〜5月の大阪の体験に心を寄せる

●私の住む大阪ではコロナの感染者数がようやく減少傾向になり、昨日は約2ヶ月ぶりに100人を下回ったと報道されている。確かに私の家の周りを走る救急車の数も少し減ってきているし(それでも日常よりはかなり多いけれど)、陽性者が出て休校になる市立の学校も週2〜3校程度までおさまっている。

 

●こうした中、母も1回目のワクチン接種を終え、妻も今月末くらいには接種の予定が立ち、私は心理的にだいぶホッとしてきているところがある。これは私だけではないのだろう。大阪の人出はまた増えてきているし、研修など仕事においても普通にやっていこう、前に進もうというような動きも出てきている。

 

●特にワクチンの接種が本格化して、日常に戻れる見込みが生まれている今、私にもそれは理解できる。一方で私の中にはこうした“普通に日常に戻る”ということに、まだついていけない感じもあるようだ。そしてこの感じは5月に大阪が体験したことをまだ消化しきれていないところから生まれているように思う。

 

●大阪では4月以降の急速な感染拡大の中、5月の一時期、入院できないで自宅で療養する人が1万5千人を超えた。重症者数も400名を超え重症病床数を上回り、中等症病院で診療せざるを得なくなった。結果的に軽症・中等症病院に入院できる数が減り、自宅療養者への医療的管理がますます難しくなった。

 

●そして自宅などで病状が悪化した人の入院が遅れ、手遅れになる悪循環に陥った。救急隊員も全力を尽くしてくれたが、数十時間も入院先を見つけられない事例が相次いだ。高齢者の施設においても感染が起こっても入院させることができず施設における療養が求められ、次々にクラスターを引き起こした。

 

●この病に感染してしまった人々は、家族や知人にうつしてしまったのではという罪悪感と、重症化する恐怖心と戦う必要がある。しかも保健所にも電話がつながらず、医療からも見放され、全くの孤独のうちに置かれる。症状が悪化し、死に行く時でさえ一人でいるしかない。

 

●周りの人も辛い。施設で働く人々は世話している高齢者が目の前で医療も受けられない中でなくなるのを無念の思いで見つめるしかない。訪問看護師などの医療従事者も、症状が悪化しても適切な治療を施せず、入院させてあげることもできない中で、「命が手からこぼれ落ちるような」体験をした。

 

●そして結果的に大阪では5月だけで859人の死者が出た。5月31日現在でも自宅療養者や入院調整中の人は5千人を超える。今なお何千、もしかしたら何万もの人々がこの病やその後遺症、さらには恐れや罪悪感に苦しんでいる。大切な人を失った悲しみの中にいる。大阪が受けた傷は深い。

 

●そしてそれはその人の落ち度から起こったことではない。大阪で広がった英国株の特徴は、感染者の多くが「どこでかかったのかわからない」ほど感染性が強いところにある。つまり偶然に左右される程度が大きい。感染したのがたまたまその人であったのであり、それが私であったとしてもなんら不思議はなかったのだ。

 

●私にはこの苦難が降りかかったのが私でなくて「運が良かった」と片付け、この出来事を私から切り離して“普通に日常に戻る”ことはできないと感じる。もちろん私も日常は取り戻したいし、私の中にも、長い冬の終わりに生きものたちが感じるであろう、かすかな動きのようなものがあるのを自覚している。

 

●しかしこれは決してこの大阪が受けた傷を見ないようにして前に進むようなものではない。むしろその痛みと共にあり、その中で生まれてくるようなものだ。かつて震災の体験が長い時間をかけて私という人間を変化させたように、この5月の大阪の体験もまた、私を変化させざるを得ないし、まさに変化させつつあると感じている。

 

●そしてそのためには時が必要だ。だから私は今はもうしばらく静かにここにいたい。そしてできれば施政者やリーダーの方々にも充分時間をとってこの大阪の体験に心を寄せてほしいと願っている。そうしてはじめて二度と大阪の悲劇を起こさない知恵と今苦しんでいる沖縄や札幌の人への祈りが湧いてくるように思うからである。

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