温故知新〜早坂泰次郎 「フロムライヒマンにおける「役割」の問題−精神療法とTグループ−」(1978)立教社会福祉研究2.1−11

●ラボラトリーでグループを担当していると、スタッフの人はどんな「役割」をするのですか?と聞かれることがある。ラボラトリーでは通常の学び場のように、スタッフが教師となり教えることもしないし、司会をしたり指示したりしてグループを切り回すようなこともしないからである。

 

●また私はグループを促進しようとしすぎないことを気をつけている。スタッフだからと役割意識を持ちすぎると、つい教科書通りの定型的な反応をしてしまい、“今ここ”で生まれた気持ちや思い、感じを大切にすることが難しくなる。結果としてメンバーも“今ここ”を大切に関わることが難しくなり、体験から学ぶことが阻害されてしまう。

 

●このようにスタッフはまず一人の人として“今ここ”を大切に関わる必要がある。しかし一方ラボラトリーが学びの場である以上、スタッフに何らかの「役割」はあるはずである。そしてそれはラボラトリーが何のために行われるかの意味と連動しているだろう。その役割とは一体何なのだろうか?

 

●こうした問いにヒントを与えてくれると私が感じるのが、早坂泰次郎の論文、「フロムライヒマンにおける「役割」の問題−精神療法とTグループ−」である。早坂泰次郎さんは、私自身は面識がないのだが、初期のラボラトリー運動を担われた先達の一人である。

 

●この論文では役割には2つの捉え方があることが指摘されている。一つ目は、役割は社会の秩序が作られる中で生まれると考える。そしてその役割には社会的に期待される行為が求められる。そのためこの役割についた個人は、その社会的期待に沿うように役割演技(role playing)することが必要となる。

 

●例えばこの種の役割を重視すると、スタッフは自分の中で湧いてくる今ここの気持ちに蓋をして、メンバーから期待されるグループを促進するように見える行動をとるようになる。ここでは「内にある真の人間」としての自己自身と役割とは完全に別のもの、対立するものとみなされている。

 

●これは例えば上司としての役割、看護師として役割など通常言われている「役割」概念に近い捉え方であると言えるだろう。しかしもう一つの役割の捉え方が社会心理学者ミードによって提唱されている。それは人間の相互作用において生まれてくるもので、「役割採用」(role taking)と呼ばれる

 

●まずミードは人間の相互作用の基本的特徴を、意味あるシンボル〜具体的にはことば、身ぶり、記号など〜による媒介の働きにおく。そして「相互作用は他者の意図を読み取ることによって成立する。」と考える。つまり「人は相手の動作の主観的意図を読み取り、これに応じた反応を示す。」

 

●それは言い換えれば「一時的かつ想像的に自分を他者の立場におき、他者の眼を通して自らを見るということである。それは他者の意図を知ることによってその行動を自らがとるためである。」ここでいう役割とは人間的な相互作用を可能とするために意志される関わり方と捉えられるように思う。

 

●ラボラトリーはまさにこうした相互作用の中で、自分と他者が共に尊重される関わりを探るためのものである。スタッフはこの相互作用が実現するよう意識的に関わる。こうした関わり方は普通「役割」とは呼ばれていないかもしれない。しかし考えてみるとここには幾つもの「役割」が必要となる。

 

●まず相手の話を聴く役割、自分のことに引きつけて話してしまうことを避ける役割、感情を爆発させ相手を傷つけないようにする役割がある。また自分の怖さや不安のゆえに相手をコントロールしないようにする役割、さらに自分の偏見、因習への囚われが相手に悪影響を与えないようにする役割もある。

 

●そして自分自身であることを恐れず、また相手が相手のままであることを受け入れようと意志し、その上で一人の人として“今ここ”に起きてくる気持ちや感じを大切にして相互作用を行う役割が必要となる。これは常に自分の至らなさに直面させられる極めて厳しい役割である。

 

●この関わりは役割演技(role playing)では実現できない。しかし単なる一人の人として自由に関わるだけでも十分ではない。自分と他者を共に大切にするという思いの中で、それを実現するための相互作用のあり方を自ら選んで引き受け、そのあり方に向けてトレーニングしていく必要がある。それはまさにrole takingなのだと感じる。

 

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