“今ここ”と認知バイアス〜「21世紀の啓蒙」を読んで

●私は“今ここ”で起きる気持ちや想い、感じを大切に生きていきたいと思っているのだが、最近 この“今ここ”を大切にする上で、気をつけないといけないなと感じたことがある。それは「認知バイアス」によって、私が多くの思い込みをしていること、それによって“今ここ”を大切にできなくなる可能性があることだ。

 

●認知バイアスとは、人が物事を判断する場合において、個人の常識や周囲の環境などの種々の要因によって非合理的な認識や判断を行ってしまうことをしている。その代表が「利用可能性バイアス」である。これは記憶に残っているものほど、頻度や確率を高く見積もる傾向のことだ。

 

●例えば飛行機事故は印象に残りやすい。そのため飛行機に乗るリスクは高く見積もられやすい。同様に日々テロや気象災害、銃の乱射、汚職などのニュースを見ていると「世界は間違った方に進んでいる」と思い込んでしまう。人間には悪いことの方が簡単に想像できてしまう「ネガティビティバイアス」もあるので余計だ。

 

●しかし「21世紀の啓蒙」を書いたスティーブン・ピンカーによると啓蒙思想が起きたこの2世紀半で世界は確かに良くなっている。例えば世界の平均寿命は30歳から71歳になった。5歳未満の死亡率はかつて最も豊かな地域でも3分の1であったが、今は最貧国でも6%に過ぎない。致死性の感染症も減少した。極度の貧困は9割から1割に減少し飢饉もほぼ姿を消した。

 

●こうした認知バイアスに関して私自身危ないなと思ったのは、私の原発への嫌悪感である。福島原発の事故は大きく取り上げられ、印象に残るものであったので、私の中には原発への安全性に対する疑問符がある。また豊かな自然が汚染され、多くの人が故郷に帰れない事実もあり、私には「原発はダメ」と言う思いがある。

 

●しかしこの思いは認知バイアスからくる「思い込み」である可能性がある。前述の「利用可能性バイアス」やネガティビティバイアス」に加え、代表性ヒューリスティックも働いていると思われるからだ。つまり福島原発を原発の代表と捉え、そこで事故が起こるのだから全ての原発は危ないと言う思い込みに陥っているのだ。

 

●ピンカーによれば、こうした認知バイアスから逃れ、合理的に判断するためには「数を数えること」が大事であると言う。彼はまずエネルギーの利用なしに上にあげたような進歩を実現することはできないこと、そしていま環境問題は差し迫った現実の脅威であり、脱炭素化は人類の喫緊の課題としてあることを主張する。

 

●その上で石炭や石油による発電の死者数と原発による死者数を比較する。例えば石炭火力発電の場合、大気汚染などで毎年100万人が死亡していると推計されている。一方十分なエネルギーを供給できる原子力発電の安全性は高まり死者数も少ない。ちなみに再生可能エネルギーでは十分なエネルギー量にならない。

 

●もし私が認知バイアスからくる思い込みに囚われていたら、原発推進派の人がその必要性を説いても私はこの思い込みからくる嫌悪感しか感じないかもしれない。これでは自分もまた原発推進派の人も、さらに石炭や石油による発電で大気汚染に苦しむ人をも大切にできない。

 

●こうした認知バイアスによる思い込みから逃れることは難しい。一度思い込んでしまうと新たな情報が来てもそれをはねつけてしまう「代表性バイアス」があるから尚更だ。しかし思い込みである可能性を常に疑い、それを真実ではなく仮説として扱い、ピンカーに倣って数や論理で検証して見る姿勢を常に持つことは、思い込みをできるだけ防ぐために重要であると感じる。

 

 

お問い合わせ