未来を生かす人々4〜子どもの子どもの子どものために

●今世界には様々な価値観があふれ、人々の間に分断と衝突が見られる。社会は複雑化し、善意の行動が悪をもたらしてしまうこともある。情報操作が行われ何が真実なのかを判断することすら難しい。そして力を持つ人々がその力を誇示し押し付ける。こうした世界でこの小さな私にできることはあるだろうか。

 

●こうした私にとって「未来を生かす人々」のコンセプトは、大切な洞察を与えてくれるように思える(恐らくこの時代を生きる他の人々にとっても)。具体的にはこのコンセプトは人や世界をとらえる見方、物事を決める基準、行動するための勇気と責任を与えてくれるように思う。

 

●まず私は自分の行為が「未来を生かす」のか、そうでないかという観点で判断できるようになる。私が目の前の人に微笑みを持って接し、その人から生まれてくる「今ここ」を大切に関わるなら、私は未来を生かしている。その人をモノとして捉えた瞬間、私は未来を殺している。

 

●私の小さな一挙一動は、そのまま未来を生かすかどうかに関わっていく。「未来を生かす人々」のコンセプトがあることで、私は自分の行為の影響に気づき把握できるようになる。私は自分の責任に目覚める。そしてできるだけ未来を生かすために自分を育てることができるようになる。

 

●これは同時に他者や世界をとらえる見方を養うことでもある。私に「名、権力、金」を与えてくれる人や組織はありがたい。しかしその人や組織が「今の私たち」だけを考え、未来の人々が生きるためにマイナスの行為をするなら、どれほど私によくしてくれても私は共には歩めない。

 

●その人や組織が「名も権力も金も」求めず、未来の人々が生きるために重荷を背負おうとするなら、その人・組織がいかに小さく弱くても、私は共に微力を尽くしたいと思う。「未来を生かす人々」のコンセプトは、人や組織が行動するその一番のベースにあるのは何なのかを見抜く力を与えてくれる。

 

●また「未来を生かす人々」のコンセプトは、私が生きる意味と行為する勇気を与えてくれる。今の世界で小さく弱い人にできることはあまりない。病で苦しむ人、経済的苦境に立つ人、偏見に苦しむ人を目の前で見ても、何もできない。私は無力だ。

 

●しかしこんなに小さく弱い私でも、「未来を生かす人々」というコンセプトのもとでは、できることとその意味を見出せる。例えばこのコロナウィルスの蔓延の中で、「家にいる」という行為は小さなことだ。しかし自分と他者を未来の感染から守ることができる。医療従事者を守ることにもつながる。

 

●歳をとるに従い、私は自身が弱い無力な存在になりつつあることを実感する。私は物理的に人を助ける力はない。しかし笑顔で周りの人と関わることはできる。もっと歳をとると周りに世話ばかりかけるだろう。しかし安らかに死ぬことで、周りの人々が将来死を恐れて生きる必要がないことを示すことはできる。

 

●これらはいずれも小さい行為だ。しかしそれが未来を生きる人々に小さい影響しか与えないかと言えば、それはわからない。一つの行為はある人に影響を与え、それがまた別の行為を生み出し、別の人に影響を及ぼす。だから一つの笑顔が、回り回って一つの国を破滅から救うこともありえるのだ。

 

●前に触れた『一万年の旅路』では、「子どもの子どもの子ども」のためにという意思決定と行為の基準を、大切にした人々が描かれていた。文字を持たない彼らはそれを口承によって代々語り継いでいく。私には今またこの「未来を生かす人々」というコンセプトが必要な時代が来ているように感じている。

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