『十牛図〜自己の現象学』(上田閑照)を読んで4

●この十牛図という本の中で私が大切だなと感じるのが、第八図人牛倶忘」を巡る著者上田閑照の考察である。前に触れた第六図「騎牛帰家」のあと、第七図では自己が真の自己と一体になり、牛の姿が人のうちへ消えてしまう「忘牛存人」へと続く。

 

●これは一つの完成形のように思えるが、十牛図はここで終わらない。円の中に何も描かれていない第八図へと進んでいく。この第八図についての著者の解説で私がおもしろいと感じたのは、「形」をめぐる議論である。牛は一つの「形あるもの」の姿だが、それは自己が真の自己と一体になることで消えてしまう。

 

●同時に「完成した自己」も「形あるもの」として永続することはない。今ここの実在の流れは生成を生み出し、あらゆる形あるものを変容させていく。例えば身体、言葉、自然、世界など形あるものは常に有限性の中にあり、無限性と出会い、なおその形を永続的に保つことはできない。

 

●しかし全て形あるものを変容させていく「今ここの流れ」は常に「ある」。形としては描くことができないが、その形を生み出し維持し、変化させ壊していく力として、形と共に常にそこに「ある」。私にはこの第八図の円相はこうした「今ここ」の性質を描いているように感じられている。

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