前述のように共同体の持つ世界や物語は可塑的である。それは絶対でもないし、過ちを含み、変化していくものでもある。一見こうした世界は物理的な現実に見えるが、それは暴力や罰、配分、規範などによって物語を補完して実体のあるものに見せているだけで、実際には物理的な現実ではない。
しかし一度ある物語が共同体に共有されたら、それは成員間の協力や社会の秩序を維持するためにとても役立つものとなる。そのため共同体は権威と強制力を使って物語を成員に教え込み、その物語を信じない人、規範に従わない人には罰をあたえる。
そして私はこの共同体で生きていく必要があるから、脅迫的に世界に適応しようとする。ミルグリムが行なった通称「アイヒマン実験」では、多くの人たちは、権威を持つとされる実験者の命令に従い、罪のない人に電撃を与えた。そして強い電撃を与えた人ほど自分の行為を正当化した。
『服従の心理』の中で彼は、これを「エージェント状態」と呼んでいる。私たちは世界に適応するため、上位者(実験者)に、「何のために」「何を大切に」を考えることを委ねてしまう。そしてそこで行った自分の行為が人として許せないものであるほど、世界とその物語を正当化しようとする心理が働く。
悪名高いナチスのアイヒマンはこの状態になって何百万ものユダヤ人虐殺を行ったと言われる。私が求めている物語は、こうした出来合いの物語を受け入れることで得られるものではない。それは「何のために」、「何を大切に」生きるかを人任せにせず、自分で感じ、考える中でしか得られない。