『ガンディーの真理』とアイデンティティ

いまエリック・エリクソンの『ガンディーの真理』を読んでいます。CommentsAdd Star

エリクソンと言えば「アイデンティティ」の概念が有名ですが、この言葉は通常私たちが理解しているよりも深い意味を持っています。


例えばこの『ガンディーの真理』は、ガンディーが自らのアイデンティティを確立していくプロセスが、イギリスの植民地としての支配を受ける中で衰微し喪失されていったインドのアイデンティティを取り戻すプロセスとして描かれています。


つまりアイデンティティとは、心理的に自分を支える中核的なものであるばかりでなく、同時にコミュニティや社会の中核的価値を表すものであり、そしてそれは歴史的なものでもあります。


ところでこうした歴史的アイデンティティが衰微しているかどうかを測るものとしてエリクソンは次のような指摘をしています。それは「子どもが、自分たちの未来について親が信念を欠いていることを知覚」しているかどうかです。


例えばイギリス製の綿布を強制的に消費させられていたインドでは、手織りの綿工業が衰退し、多くの民衆が職と誇りを失ったと言われています。法律や裁判もすべて英国式であり自分たちで何も決められず、変化させられない。こうした時、子どもを育てる親は、子どもの将来に信念を持つことは難しいでしょう。唯一未来への希望が持てるのは、上から押し付けられたアイデンティティ(英国の認めるインド人の役割)を受け入れる時だけなのです。


こうした時、ガンディーは手回しの「糸車」を復活させ普及する活動に取り組みました。それは単に反機械文明の活動ではなく、まず自らのアイデンティティの象徴であり、同時にインドの民衆が自らのアイデンティティを回復する上での象徴となりうるものであったのです。これは彼の考える「自治」の象徴なのです。


これを読んで私は、今の私たちの時代、そして社会のアイデンティティは衰微を始めているのだろうかと自問せざるを得ませんでした。なぜなら私はいま子どもの将来に信念を持つことは難しいと感じているからです。


植民地でないにもかかわらず、いまここで違和感を感じている原発が動いたとき、その作る電気を消費することを拒否する自由がないと感じています。異常気象が温暖化のせいと思っても、それを変化させることができない。そこに私は絶望を感じます。

その中で子どもたちはよい職業に就くために(希望を失わないために)よい大学、よい高校に入るための競争から逃れることができない、つまり与えられたアイデンティティを身につけるしかない状況にあります。


今求められているものは、私たちが心理的・社会的に重要であると感じることができ、そして子どもにもそうなってほしいと信念を持って思えるような歴史を包み込むアイデンティティなのではないかと感じています。

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