ラボラトリーに影響を与えた人々(5)関係性の神学の流れ

 さて前述のように日本のラボラトリートレーニングはキリスト教教育の流れが1つの大きなベースとしてある。

 

 坂口(2010)によるとJICEが発足した60年代には、JICEのグループアプローチの運動には、神学的実践の根拠と意味があるのかと疑問視される向きもあった。その中でキリスト教教育の領域では「関係性」の概念を中軸に、神の招きとその応答のダイナミクス、ブーバーの「我と汝」の思想を用いて啓示の可能性と人格的自由意志の応答という出会いの教育論があった。坂口(2010)と坂口(2005)をベースに見ていきたい。

 

 まずJICEの産みの親であるアメリカ聖公会の教育局長であったハンターは、キリスト教教育は神と出会い、神の約束に応答する身体的直感をもってはたらく教育主体としての人間になることであると主張した。責任の主体(Engagement)とは神との直感的、瞬時の出会いを意味した直接的関係である。人間は時間的、空間的、身体的事実として関係のリアリティとして神の前に存在すると説く。ハンターはハーバードで博士号をとったが、それはレヴィンの知覚心理学とデューイの教育学をベースにしたものであったと言われる。

 

 そして坂口自身の経験として多大の影響を受けた神学として、アメリカ聖公会の牧会神学者ハウとティリッヒの文化の神学をあげている。ハウ(1962)は人間は和解の使者であり、癒しと和解の執行者であり、恵の手段であり、自分が恵みの方法になるためには、聴くこと(人が神と人に出会うことにつながる)、参加すること(他者のパートナーになること、対話すること、関係を回復すること)を説いた。さらに対話は関係を回復するとともに、相互に受容し、受容されることによって関係が創造していく。

 

 この神学の基礎は、対話は関係を創造していく恵みにあずかることであり、聖霊の助けを受けて対話が成り立つという理解である。成人教育の根本は対話であり関係である。人間関係の中にあってこそ、共に神の恵みにあずかることができる。従って神の恩寵は人間にとって驚きを感じる奇跡であり、関係が創造的人間を創りだすという神学である。ティリッヒには「存在への勇気(生きる勇気)」という有名な言葉がある。神は存在し存在そのものが力であり、自分が存在そのものとして受け容れられていること、矛盾に満ちた自分でもその存在を肯定し受け容れられることを実感する時、生きる勇気を得るという。坂口はこのメッセージを自分のグループ活動の感覚的原点としている。

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