日本におけるラボラトリートレーニングの発展

 津村(1996 「日本人の人間関係トレーニング」長田雅喜(編)『対人関係の社会心理学』第8章第2節)によると日本にTグループが導入されたのは、九州大学、名古屋大学、そしてキリスト教教育の流れであるという。しかし大学におけるTグループは試行的なものに終わり、ラボラトリーの発展に大きく寄与したのはキリスト教教育の流れ、特に1962年4月に設立された立教大学キリスト教教育研究所(JICE)であった。中堀(1984)によると第14回キリスト教教育世界大会が1958年に日本で開催され、教会の聖職者や教師に向けて本格的なラボラトリートレーニングが英語で実施された。これが第1回教会集団生活指導者研修会である。これはアメリカ聖公会がNTLとともに行っていたラボラトリーを基本とするもので、NTLの直系と言えるものだった。

 

 その後第2回教会集団生活指導者研修会が1960年にアメリカ聖公会から4名のスタッフを招いて、また第1回の参加者で研究会を続けていた日本人がスタッフとなり実施された。この研修会の成功を受けて、この種の運動を日本で推進する組織として、1962年4月に立教大学キリスト教教育研究所(JICE)が設立された。その後1963年からは「教会生活研修会」という名称で、1968年からは「JICEラボラトリー・トレーニング」という名称で毎年トレーニングが実施された。1970年代前半にかけてJICEの活動は非常に活発で日本におけるラボラトリートレーニングの中心として機能したのである。

 

 一方、アメリカにおけるTグループの隆盛を聞きつけた産業界は、企業研修にTグループを導入した。1963年産業能率短期大学は、UCLAのマサリックを日本に招聘し、第一回STSensitivity Training)講座を開催した。これは日本企業のニーズと合致し、STブームとして広がっていった。しかしこれは一方で企業の望む人材への「作りかえ」が意図され、結果として倫理面での問題を生み出し、社会問題化することにつながった。一部の行き過ぎた研修では暴力が容認され、自殺者が出たり、トレーナーが逮捕される事件も起きた。このようにSTは当初のラボラトリートレーニングとは全く違うものとなり、1970年代終わりにはブームは終焉することとなった。

 

 一方1973年4月、ラボラトリー方式の体験学習を中心とした教育カリキュラムを持つ南山短期大学人間関係科が設立された。これは「人間の尊厳のために」という南山学園の教育理念を具現化するために、当時のスタッフがJICEに相談を持ちかけ実現したものと言われている。初代学科長にはJICE所員のリチャード・メリットが就任した。その後、1982年にJICE所員であった中堀仁四郎が人間関係科の専任教員になった。そして2000年4月、南山短期大学人間関係科は南山大学人文学部心理人間学科に引き継がれていった。Tグループは必修から選択科目になったが引き継がれ、実習型の授業も引き続き行われている。また1977年9月には南山短期大学人間関係研究センターが設立され、87年からは毎年同センター主催のTグループ(5泊6日)が開催されている。また92年からはTグループのトレーナー・トレーニングも実施されている。

 

 そして80年代以降のJICEの組織変更に伴い、Tグループ活動の継続に懸念を持ったメンバーが独自に活動を引き継ぎ今に至っている。大阪を中心とするSMILE(聖マーガレット生涯教育研究所)、中堀を中心とするHIL(ヒューマン・インターラクション・ラボラトリー)研究会などがそれである。

 

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