ロジャースのパーソナリティ変容モデル

Reflectionの理論のレビューの中で、内省とは自分に向き合う経験を通じて個人の世界観が大きく転換するような不可逆的な変化をもたらすものととらえた。これは自分をどうとらえるか、世界をどうとらえるかの内部モデル自体をLook(みる)プロセスとしてとらえられる。つまりこの内省もEIAHE’モデルにおける「指摘」に含まれる要素なのである。

 

ところでこうした内省によって起こる不可逆的な変化には方向性があるのだろうか。それによって自己概念や世界観はどのように変わっていくのだろうか。またこうした自己や他者、世界観の変容には当然、大きな痛みやしんどさが伴うはずである。内省を含めた体験からの学びは、この痛みやしんどさを受け容れて進んでいくプロセスと言える。それはどのようにして可能になるのだろうか。


こうした問いに示唆を与えてくれるのがロジャースの理論である。まずロジャースのパーソナリティの変化における7つの段階の考え方を見てみよう。Rogers(ロージャス、1966)はセラピーの中でのパーソナリティの変化を7つの段階で記述している。

 

第1段階は、自分について話したくない気持ちがある。変化が起こりにくい状況で、自分の感情や個人的意味づけに気づいていない。親密な・容易なコミュニケーションが危険だと思っている。自分自身の中に問題を認識していないし、知覚もしていない。また、変ろうとする願望をもっていない。

 

第2段階は、「私の生活にいつも混乱が起こっている」というように、私は困っていると言うのではなく、他人事のように話す非自己的表現を始める。感情は表出されたとしても自分の感情として認めない。体験の仕方は過去の構造に束縛されている。「私には正しいことは何ひとつできない」というように個人的構成概念があたかも変えられない事実として考えられている。また、矛盾を表現することがあるが、ほとんどそれを矛盾として感じていない。

 

第3段階は、第2段階での少しの解放と流動における変化が受け入れられたと感じると、「努力します。彼女に自分を愛してほしいから」というように客体としての自己についての表現がより自由に流動するようになる。ただし、自分の感情が受容されること(acceptance of feelings)は少しで、過去の経験として語られる。経験の中に矛盾を認めることができる。

 

第4段階は、より理解され、感情がより自由にあふれ出てくる。「そうです、私はほんとうに……それはとても深いショックでした」というように過去に味わった“非現在的な(not-now-present)”強い感情を述べ、時には感情が現在のものとして語られることもある。問題について自分の責任を感じ、動揺する。しかし、感情のレベルでわずかながらでも人との関係をもとうとし、自らの危険をおかしてみることがある。


第5段階は、感情は現在のものとして自由に表現され、従来の捉え方から大きく変わり、生まれ出る感情に対して驚きと恐れがある。しかし喜びはない。自己の感情が自分のものだという気持ちをもち、“ほんとうの自分(real me)”でいたいという願望が増加する。個人的構成概念の再吟味がなされる上に、経験の中の矛盾と不一致にますます直面するようになる。自分の中で自由な対話が起こり、内面的コミュニケーション(internal communication)が改善される。

 

第6段階は、固着化して、押しとどめていた感情が直接瞬時的に体験される。その感情は充分結末まで流れ出し、その感情があるがまま受容されるようになる。そして、客体としての自己が消失する傾向にある。個人的構成概念は解消し、以前安定していた枠組みから解放される。

 

第7段階は、セラピーの関係のなかだけでなく、それ以外の場面においても、新しい感情が瞬時性と豊富さをもって体験される。変化する感情を自分のものとして実感して受け入れることができ、自分の中で起こることに対して基本的な信頼をもつことができる。個人的構成概念は暫定的に再形成されるが、それは固執したものではない。そして、新しい自分のあり方を効果的に選択するという体験が起こる。クライアントはいまや変化しつつある性質を自分の心理生活のすべての側面の中に統合している。

 

こうした変化についてロジャース(1966)は次のように述べている。「人間は、ある固定の状態あるいはホメオスタシスから、変化によって別の新しい固定の状態へ移動する−こういう過程は実際に可能であるが−のではないことが私にはわかりはじめてきた。もっと意味ある連続線とは、固定性(fixity)から変易性(changingness)へ、固定的構造から流動性へ、停滞から過程へ、ということである。」(ロジャース(1966)、P149)

 

これを言い換えるなら、第1段階をはじめとする低い段階では、衝動や他者からのフィードバック、さらには環境の変化によって起こってくる今ここのデータに開かれいない。そして自分が過去に築き上げた内部モデル、自己概念や他者理解、世界観に固執してしまっている。このため体験から学び成長することができない状態といっていいだろう。

 

一方で段階があがると、衝動や他者からのフィードバック、さらには環境の変化によって起こってくる今ここのデータに開かれていく。そのため主体的にこうしたいと思うままに生きることができる。環境に主体的に順応し流動的に変われるようになる。また感情面では、感情に気づかない状態から、感情を理解し受容し、自由に表出されるようになる。そしてクライアントは不一致(incongruence)の状態から一致(congruence)へ移動する。

 

この理論から言えることは、内省などの体験からの学びが行われることによって、私たちの自己概念や世界観などがどのような内容に変化するのかはわからない。しかしこの体験からの学び方を学んでいくほど、私たちが既に持っている自己概念や世界観などにしがみつくことがなくなることは確かだ。私たちは自分の中から生まれてくる衝動や周りからのフィードバックといった今ここのデータに開かれ、そこからより適合した自己概念や世界観などを築けるようになる。つまり私たちは、過去に縛られず、今ここを大切にして体験からよりよく学び、ありのままの自分としてある方向へ成長していくと言うができるだろう。

 

これを敷衍するとEIAHE’モデルは学びの方法を記述するだけのものではない。それはある種の目的、つまり過去に縛られずに今ここを大切にして体験からよりよく学び、よりありのままの自分としての方向へ人間が成長していくという目的を内在しているものととらえられる。

 

これは柳原(1976)の「われわれの活動と関心は、個人としての人間、対人関係の中に生きる関係的存在としての人間、グループと共に生きる主体としての人間、であるわれわれ自身を理解することによって、より本来的な自分として自由に生きるそのあり方を求める所にあった」と符合する。ここにおいて本質と方法は不離なものととらえられる。

 

ところでこうした内部モデルの変容、つまり自己概念や世界観を変化させる時には、大きな不安や痛みが伴うことが予想される。Rogersはこうした変化が生まれる基本条件として、クライアントが自分が十分に受け入れられている(received)ことを経験することを挙げている。この受け入れられていることには理解されている、しかも感情移入的に(empathically)という概念と、受容(acceptance)の概念が含まれている。

 

Rogersはこの変容をもたらすものとして3条件、セラピストの共感的理解・無条件の肯定的関心・自己一致を挙げた。そしてその後この3条件でセラピーが必ずしも進展しないことの発見からフォーカシングがうまれてきた。

 

これは言い換えれば、いまここで生まれてくるものに正直に自分がありのままであることを受け容れ、他者のありのままもまた認めてかかわっていくことが重要であることを意味している。