温故知新〜ミルグラム『服従の心理』(1974)

●このブログでは“今ここ”に起きてくる気持ちや想い、感じを大切にすることで体験から学び、自分らしく成長していけると繰り返し書いてきた。そしてこの“今ここ”を大切にすることができなくなる要因の1つを分析したのが本書である。まさに私たちの敵を明確にしてくれる本と言えるだろう。

 

●この本は社会心理学における古典的な実験のレポートである。具体的には人は権威(大学の先生)から実験のために他者に電撃を加えるように指示された時、どの程度までそこに従うかを詳細に調べたものだ。そして事前の予測とは異なり、多くの人が指示に最後まで従い、最大の電撃を加えたのである。

注:実際には本当の電撃は加えられておらず、電撃を加えられたフリがされた

 

●この実験は通称“アイヒマン”実験と呼ばれている。ハンナ・アレントはナチスでユダヤ人虐殺を推し進めたアイヒマンが、実は普通の人であり、権威に従っただけであることを指摘し、「悪の陳腐さ」という発想を提示した。この実験はまさにごく普通の市民が、権威の下でどれほど残虐になりうるかを示したものなのである。

 

●ミルグラムは実験を通じてなぜ人はここまで権威に服従するかを問い、“エージェント状態”という考えを見出した。つまり権威システムに参加する人は、自分が独自の目的に向かって行動しているとは考えず、他人の願望を実行するエージェント(代理人)として、自分の行動を理解する。これが“エージェント状態”である。

 

●この状態になるとどんな行為をしても自分には責任がないと感じられる。それで残虐な行為も良心の呵責なしに行えるようになる。ところで人はどのような条件があると“エージェント状態”に移行するのか。事前の条件としては、私たちは子供の頃から大人や学校、組織の権威に従うことが教え込まれるということがある。

 

●そのベースの上でその状況において社会的コントロールを行う権威が認識され、自分もその権威システムの一部と定義することが条件となる。ここでは実験に参加することに同意することで権威の下に入るのである。また状況が正当であり「正しいことをしている」という意識が生まれると自発的な服従に至る。これは行為を正当化するイデオロギーと関係する。

 

●“エージェント状態”に移行すると、権威から発せられるものに最大の感度を働かせるチューニングが起こる。一方その他の人が発する信号は心理的に遠いものになる。次に状況が定義し直される。人がどのように世界を解釈するかを変えれば、その人のふるまいはかなりの部分コントロールできてしまう。権威による状況定義を受けいれると自発的服従へ導かれる。

 

●その結果、責任の喪失が起きる。エージェント状態への移行の結果、権威に対しては責任を感じるのに、権威が命じる行動の中身に責任を感じなくなる。俺は自分の責務を果たしただけとなる。従属的立場の人が感じる恥や誇りは、権威が命じたことをどれだけきちんとこなせるかになる。つまり忠誠心や責務が重要となる。

 

●ミルグラムは言う。「攻撃は文化的に抑制されているが、権威から発する行動への内的コントロールを育てることは文化は完全に失敗している。これは人間の生存に大きな危険をもたらす」。実際この状態では残虐な行為をしても、自己認識は変わらない。自分に罪はないと感じるのである。

 

●こうした“エージェント状態”にとどまらせる力は非常に大きい。まずそれまでやってきたことを正当化する必要があり、そのためには最後まで続けることが必要となる。また実験者を手伝うと約束したのに、それを反故にすることは、義務を放棄する行為として経験される。

 

●ゴッフマンは、あらゆる社会的状況は参加者間で機能する合意のもとに築かれているとし、その前提は、その状況の定義がいったん参加者の合意を得たらそれは蒸し返さないことと指摘している。皆の認めた定義を一人だけがひっくりかえすには、道徳的侵犯の性格を持つ。

 

状況の定義に関する公然の抗争は礼儀正しい社交辞令では収まらない。実験者への服従を拒否することは、この状況における彼の有能さと権威の主張を否定することとなり、極めて厳しい社会的不適切さを含む。従って中断したら傲慢で無作法に感じる(顔を潰さざるを得ない)。権威との関係のエチケットを破るのは極めて困難である。

 

社会的状況は、その状況に応じたエチケットで結びあわされており、各人は他人の提出した状況定義を尊重し、争いや恥や気まずさを避ける。その状況がヒエラルキー的なものと定義されると、それを変えようという試みはすべて道徳的侵犯として体験され、不安や恥、後ろめたさ、自分の価値が低下したような気分になる。

 

●実際にはこうした状況に置かれると人は極度の心理的緊張を味わう。“エージェント状態”に留まりたい気持ちと、電撃を与えられている人の苦痛の声、自分の道徳的信念や自己イメージを維持したい気持ちが葛藤する。そして多くの場合、権威との関係を壊さずにすむ方法、つまりごまかしやいやいや最低限の遵守をすることなどで緊張は解消される。

 

●私が印象的だったのは、この実験に参加した人々についてのミルグラムの分析である。ある人は「目的、思考、感情が分断し、非服従的行動につなげるだけの心理的なリソースを動員できない」ため“エージェント状態”から抜け出せなかった。一方、自分の強い信念に従って決然と非服従に至る人も少数いたのである。

 

●ここから私は“今ここ”を大切に生きるためには備えが必要なのだとわかった。つまり自分が“今ここ”で感じることは大事だが、組織の人間関係も大事だと「あれも、これも」で生きていると、いざという時非服従に踏み出せないだろう。つまり目的、思考、感情が分断し、心理的なリソースが動員できない可能性が高い。

 

● “今ここ”を大切に生きる意味を探求し、言語化してそれが自分にとってどれほど大切なものであるか腑に落ちるくらいまで得心して、初めて非服従に向けて心理的なリソースが動員できる。これは一朝一夕にできることではない。日頃から自分の全力を尽くし、それに向けて準備をすることが必要なのだなと感じさせられた。

 

 

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