温故知新〜カール・ロジャース「エンカウンター・グループ」~人間信頼の原点を求めて~(1982)

●今週は昔南山大学の山口真人さんの研究生をしていた時に、課題図書として読んだカール・ロジャースの「エンカウンター・グループ」を読み直してみた。私が体験から感じていたことを、本当に上手く言語化してもらえて「そうそう!」と思う点も多いし、また読んでいて胸が熱くなるところもある。

 

●私にとって重要だなと感じたのは、ロジャースもまたグループを“今ここ”を大切にする場であると捉えていることだ。具体的には彼は自らの経験を敷衍して、グループに何の目的もやり方も持ち込まなくても、“今ここ”で起きてくる気持ちや感じを分かち合う中で、自然にグループが進むと確信している。

 

●そして彼は自らの哲学と態度として、グループ・プロセスへの信頼を挙げている。彼は言う。「グループは、グループの潜在力とメンバーの潜在力を発展させる促進的な風土を自ら持っている。これは個人の心理療法の過程で、指示を与えるより促進的である方が個人を信頼するようになるのと同じである。」

 

●そしてこの“今ここ”を信頼するエンカウンター・グループの哲学と態度は、彼の独創ではなく「(エンカウンター・グループは)哲学的価値としては人間の感情と生き方について<いま、ここで>を強調する実存的意義を持つ。マズロー、メイ、キルケゴール、ブーバーの哲学的姿勢を反映している。」と述べている。

 

●私自身もラボラトリーを行う上で、“今ここ”を大切にすることが大事だと感じてきた。しかし少し前まではこれは私のこれまでの経験から生み出されてきた個人的な考えに過ぎないのではないかと感じていて、他の人におおっぴらに言い表すことはできないでいた。

 

●しかしこのコロナ禍の中で時間ができ、キルケゴールの著書に深く触れる機会があった際、これは私が感じていた“今ここ”と同じことを言っているのだと感じた瞬間があった。またその後、ロジャースが別の論文に彼の言いたいことをキルケゴールが言語化してくれていると感じていると述べているものを見つけた。

 

●こう考えると“今ここ”を強調するありようは、私一人が持つものでない。キルケゴール以来、ロジャースも含めた先人が連綿と伝えてきてくれたものだ。その大きな流れの中に私もいるのだと言うことに喜びを感じるし、勇気を持って“今ここ”を大切にすると公に言い表していきたいと思うようになった。

 

●最後に読んでいて胸が熱くなったくだりを共有しておきたい。それは今も問題になっている孤立・孤独についてである。“今ここ”を大切にすることがどのようなことを起こすのかを示す一つだと思うので、少し長いが第6章「孤独な人―そのエンカウンター・グループ体験―」の要約を以下に載せておこうと思う。

<以下要約>

「現代は歴史のどの時代よりも内面的孤独を自覚している。真実に思える2つの側面 が孤立性と分離性である。私であるとはどういうことか、あなたにはわからない。あなたであるということはどういうことか私にはわからない。誰もが1人で生き、1人で死ぬ必要があり、それとどう折り合うか。自分の分離性を受け入れ、喜び、自己を創造的に表現する基盤として利用できるか。それともこれを恐れ、そこから逃避しようとするか。人が他人と真の接触がないと感じる時存在する孤独が、人との断絶を感じさせる要因となる。

 

 もっと深くもっと共通な孤独の原因は、世間に見せる顔を脱いだ時、一番孤独であることだ。あからさまに示した自己の内部を理解し受け容れ、構ってくれる人はいないと感じる。人生の初期に、自分の感情をありのまま表わすより、重要な他者から認められるような仕方で行動するほうが、愛されるらしいことを学ぶ。そのためみせかけの行動でもって外界と関係を保つ殻を身につける。薄い殻である時も、装甲のようになり内にある真の人間を忘れ去っている時もある。

 自分を見つめようと、または攻撃で防衛が砕かれ、自分の仮面を(一部)取り去る。それによって例えば、子供っぽく、感情豊かで、欠乏感と満足感、創造的衝動と破壊的衝動を伴った自己、不完全で傷つきやすい自己があらわになる。この隠された自己を理解したり受け容れたりできる人は絶対にいないと感じる。そして人生の意味が自分の仮面で外的現実とかかわるところに存在しないと悟る。孤独は絶望に変わる。

 孤独にはいろいろな水準、いろいろな程度がある。しかし孤独が一番こたえるのは、個人が何らかの理由で防衛なしに、評価的世界では拒否されるような傷つきやすく、おびえた、孤独な、しかし真実の自己を見出した時である。

 

 エンカウンター・グループでは、個人がしばしば自分の孤立、他人との関係の欠如をいやす。第一段階では自分にさえ隠している孤独感を腹の底から経験する。例えば友達がいないが欲しいと思わないと思っていたが、深く通じあう関係をどれほど求めているか気づく。

 自分の孤独をひそかに隠す要因として、真実の自己、内的自己、他人から隠している自己はだれからも愛されないと確信していることがある。それは子どもの真実な態度が大人から叱責されたことから生まれる。例えばあらゆる人が魅力ある愛すべき少女だと思う本人が、こころの中で自分を全く愛されない者とみている。多くの人生の一部になってしまっている深い個人の孤独は、他人に真実の自己を示す勇気を持たない限り改善されない。真実の出会い、冒険することによってのみ得られる。

 恐れるものは何もないことを学び、武装を解いて防衛せず、ただの私としてあらわれる。弱点・欠点を持ち、過ちを繰り返し、無知であり、偏見を持つ、状況に合わない感情を持つ事実を受け容れることで、はるかによく真実でありうる。そしてこの時多くを学び、非常に近い関係になる。

 傷つきやすいことを受け容れる。勇気をふるって内的自己になることで、グループの全員が仮面より真実の自己に容易に好意を持つことを発見する。これは本人、メンバーに感動の体験となる。尊敬と愛に値する人間であると実感できるのは、ありのままの自分が愛されるということを人間として発見する時だけである。自他の真実の自己がお互いに触れ合うことで、ブーバーのわれと汝の関係が生じる。これによって疎外が解消される。

 エンカウンター・グループは現代文化の多数が持つ孤独・疎外の感情を解決する現代的発見であると言える。」

 

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