温故知新〜C.R.ロジャーズ 『ロジャースが語る自己実現の道』(2005)第1章、第8章

●今週は昔日曜クラブで取り上げたロジャースのロジャースが語る自己実現の道』第1章、第8章を読み返している。そして最初に読んだ時よりも静かな深い感動を覚えている。そして今の私にとってとても大切なことを教えてくれているなと感じている。

 

●まず第1章「これが私です」では、改めて自分であることの意味を感じさせられた。彼は言う。「同じように感じたり、考えたり、信じなければならないという文化の共通パターンがある。しかし一人ひとりの人間は自分と言う一つの島である。まず自分が自分であろうとし、それが許された時、他の島との間に橋を架けられる。」

 

●「私は自分や他者のうちなるリアリティに開かれていればいるほど、急いで物事を処理しようとしなくなるようである。自分の内側で進行中の体験過程に耳を傾けようとし、他の人にも同じ傾聴の態度で接するほど、生命の複雑なプロセスに対して敬意を感じる。ただ自分が自分であり、その人がその人であることに満足である。」

 

●最近コロナの新規感染者数が減ってきて、仕事などで外に出て人と会うことをどうしたらいいか悩んでいた。他の人はほとんど対面で行っているのに私だけわがままを言ってテレワークをお願いしていることが少し心苦しかったのだ。しかし一方で高齢の母に感染させたくはない。こうした複雑な気持ちが私にあった。

 

●しかしロジャースの話を聞いて、改めて私は他者の期待に応える必要はないこと、自分の中で起きてくる体験過程(刻一刻と流れる気持ち、思い、感じなど)を大切に、私そのもので行動すればいいと感じられた。彼はこうした自己信頼の気持ちを後押ししてくれる。

 

●「私は自分の体験を信じることができる。ある行動が価値があるとか、するに値すると感じられるならば、それは実際に行うに値する。自分の知性より自分の生命体全体で感じることの方が信頼に値する。馬鹿げているように思えても、正しいと感じられる方向に進むと後悔しない。」

 

●また第8章「自己が真にあるがままの自己であるということ」—人間の目標に関するある心理療法家の考え−においても自分であることの重要性を書いている。彼は言う。「人生の目的を表現する最も適切な言葉は、キルケゴールの言った「自己が真にあるがままの自己であること」である。」

 

●そして言う。「これはバカバカしいほど単純に思えるし、これは目的というより明白な事実に思える。しかし自己探求からこうした奇妙な見方に到達した。人がこの見方に到達するのは、自身の経験をとおして、それが真実であることがわかった場合だけである。」

 

●私たちは成長過程の中で、自分でない所の自己から遠のいていき、「べき」から離れ、期待に応えることから離れる。他者を喜ばすことから離れ、「汝自身に誠実であれ」というシェイクスピアの言葉を再発見する。自分自身であるという自由は、驚くほど責任の重い自由である。

 

●注意深く、恐れを抱きながら、最初は自信なしに進む。これは常に健全な選択をするということではない。自分が選ぶこと、その結果から学ぶことを意味する。その中で私はある過程や流動性や変化であることに向かう。絶え間ない流れの中に身を浮かべ、この流れの中に身を委ね続けることに満足していて、結論や結果に向かおうとはしなくなる。

 

●いつも新しい、冒険、それは今ここにあるものである。真に実存している人間についてのキルケゴールの言葉に「真に存在する人間は常に生成の過程にある。」がある。さらに複雑さに向かっていく。自分自身の感情が非常に複雑であることを意識する。

 

●思ったのだが、例えば異性と関わる時には複雑な感情が生まれてくる。恐さや拒否することの罪悪感、性的なことへの恐れや躊躇、欲求。恥の感情。さらには自己確認やプライド、拒否される怖さ、異なるものへの好奇心、理解のし難さ、面倒臭さ。

 

●様々なことで起こるこうした複雑な感情全てを受容し、統合して私らしくいると言うのは至難のことだ。しかし今私はこうした小さな一つの感情もないことにしないで生きていきたいと思う。ロジャースと共に「自分自身に隠すものは何もなく、恐れるものもなく、その瞬間瞬間に豊かさ、複雑さのすべてでありたい。」と思う。

 

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