コロナ危機の中の私の選択的変化〜ジャレド・ダイアモンド「危機と人類」より

●前回記述したジャレド・ダイアモンドの危機を克服する12要因を見ながら、私がこの新型コロナウィルスという危機にどのように対処すればいいのかを考えていきたい。私はまずこの問題が私や家族にとって大きな危機であるとはっきりと認識している。

 

●このウィルスは80代の親がかかると三分の一の確率で死に至る、極めて恐ろしい感染症だ。私たち夫婦もいい歳だから、一旦家に持ち込まれたら皆が無事でいられる確率は高くない。しかも無症状でも家に持ちんでしまう。今コロナを怖がるなとの論調もあるが、これは私たちには大きな危機である。

 

●次に私は責任を受け入れている。私は高齢者と同居している家族のことをわかってくれないと国などの政策に不満を覚えることがある。しかし基本的にはこの危機を自分たちで乗り越えなければならないと覚悟している。何かあっても他者のせいにすることはできない。

 

●だから私たちは生活スタイルを選択的に変化させている。旅行や外食をやめステイホームし、仕事もできる限りオンラインや濃厚接触にならないようにしている。体験学習の研修などは一部を除き、ほぼ中止したり延期したりしている。家に来る人も制限し、運動などもクラブなどに出入りするのはやめている。

 

●こうした行動変容を支えてくれるのが、専門家の方々による研究成果だ。当初はわからなかった感染する可能性の高い要因が徐々に分かり始め、きちんと発表をしてくれる。この周囲の助けは絶対に必要だ。逆に国が無症状でも感染可能性があることを隠していたことを知った時は、本当に怒りを覚えた。

 

●手本だが、こうした状況に置かれている人は周りにあまりいない。しかし自己で責任を引き受けず、選択的変化をしなかった結果、高齢の親に感染させてしまい後悔している手記などを見ると、かなり思い切った形で意思決定と行動をする必要があると感じている。これは他山の石と言えるかもしれない。

 

●自我の強さについては自分では評価できないが、しかしこうした文章を書いて検討することは、自分が大切にしたいことを再確認し行動を軌道修正できる力を与えてくれていると感じる。また家族会議を時々開いて、何を大事にしたいかなどを合意できていることは家族の結束を高めていると感じている。

 

●公正な自己評価については、特に自分がどのようなストレスにさらされ、どんな気持ちが湧いているかを意識することができている。また定期的に専門家が発信してくれる情報を集めることで、このコロナ感染症という災厄の中で、私たちがどのような位置に置かれているかを把握しようとしている。

 

●過去の危機体験についてだが、個人的には銀行員をやめて無職になった時の危機を、そして家族としては十年に渡る父の病と死を一緒に乗り越えることができたことはある程度自信になっている。しかし家族の命を危機に晒すこうしたレベルの危機は初めて遭遇するものと認識している。

 

●忍耐力については、常に試されている。他の人が出勤する中、テレワークをお願いするのは後ろめたい。自粛生活に飽きる。コロナを恐れるなと言われ、Go toキャンペーンと言われると私たち家族だけが置いてきぼりにされた気もする。その中でこの危機に対応する責任を意識し続けるのは大変である。

 

●柔軟性については専門家の知見によって行動を変えている。初めは物品なども全て消毒していた。しかしそれは必要ないとわかった。スーパーに行くのも極力控えていたが、マスクなどの防御策をしっかりとれば、感染爆発期以外は感染のリスクはかなり低いこともわかり、気にしすぎないようにしている。

 

●基本的価値観としては、シンプルに「家族が全て元気に生き残ること」に置きそれを堅持しようとしている。マスコミなどでは、国や地方、飲食店、メーカー、旅行業者、医療者などのそれぞれの立場からの価値が発信されている。しかしそれらは高齢の同居家族を持つ私とは相対立するものが多い。

 

●個人の制約としては幸い恵まれた環境にある。子供も経済的に独立し、母も経済的に困っていない。私も研修などの仕事がなくなってもすぐに困る状況にはない。だから無理することなく感染対策を実行できる。家も長い自粛生活を送るのに十分な広さがあり、外に出かけないといられないことはない。

 

●こう見ると私たちには、異なる立場からの発信に惑わされず、「家族全員で生き残る」という基本的価値を堅持することが必要と感じる。そして専門家の知見の下、リスクを最低限にする行動習慣を身につけたい。そして後は一つ一つの行動を今ここできちんと納得して決め、悔いなく過ごしたいと感じている。

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