選択的変化〜ジャレド・ダイアモンド「危機と人類」

●今ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」を読んでいる。この本は著者が馴染みの深い7つの国で起こった危機を取り上げ、どのようにその危機を乗り越えてきたのかを著述している。まだ途中なのだが、特に興味深かったのが、「選択的変化」と言う概念だ。

 

●例えば私が何かに失敗して危機に陥った時、私には自分の人格や関わり方などの全てを一度に変えることはできない。それは失敗に終わらざるを得ない。できるのは今のままでいい部分と変化を要する部分を見極め意識して選択して変化させていくことである。これは国家でも同じだ。

 

●フィンランドは歴史的にロシア帝国内部の自治領としてあった。その後独立を果たすが、第二次大戦前後に危機に見舞われる。ソビエト連邦がバルト三国とフィンランドの併合を狙ってきたのである。バルト三国はなすすべなくソビエト領として編入されるが、フィンランドは戦う。

 

●しかしフィンランドの思惑と異なり西欧諸国の助けは得られない。仕方なくフィンランドはゲリラ的に持久戦に持ち込み、ソ連と戦っていたナチスドイツと連合する。結果的に独立は維持するが、人口比で言えば莫大な数の死傷者を出す。また西欧諸国からはナチスドイツの同盟国と捉えられてしまう。

 

●戦後になりフィンランドの選択的変化が始まる。国のアイデンティティと独立の維持は変化させることはなく、外交政策を一変させる。それは戦前のソ連を無視し西欧諸国と結ぶ方策から、ソ連の思惑を理解し、それを叶え、ソ連を安心させ、信頼を勝ち取る戦略への大転換であった。

 

●これはフィンランドの地政学的な制約から来る。ナチスのソビエト侵攻時、もしフィンランドが北から攻めたらサンクトペテルブルグは陥落しただろうと言われる。フィンランドはソビエトにとって喉元に突き刺さる骨のような位置にあるのだ。ソ連が彼らを猜疑すれば、フィンランドの安全は成り立たない。

 

●結果的にフィンランドは報道の自由や選挙制度なども含め、西洋的価値を一部捨て去ってもソ連の信頼を得るための政策を保持し続けた。西洋からは惰弱な外交を痛罵されたが、それによって国のアイデンティティと独立の維持を確保し、徐々に西欧との関係を深めることができたのである。

 

●こうした選択的変化が成功するためには、自らが危機に陥っていることをありのまま受け入れる力、そして自分の置かれた状況や能力をありのままに認める力が求められる。その上で変化のためのモデルを探し、他からの助けを出来るだけ得て、勇気を持って選択的変化に取り組むリーダーシップが必要となる。

 

●そして今私たちが直面する新型コロナの問題は、私には選択的変化が求められる「危機」として捉えられている。そしてこの問題にうまく対処している国は何らかの変化を遂げている。台湾や韓国のようにITとビッグデータを使った資源の配分や感染のトレースの方法の開発などはその代表である。

 

●またニュージーランドのように首相のリーダーシップで人々の行動変容を導く国もある。一方コロナ自体の危険性を否認するリーダーやデータの隠蔽、不効率な行政システム(例えばマスクや10万円を配るのに時間のかかりすぎる)という問題に取り組んでいない国は、危機を増幅させている。

 

●私には今の所日本ではこの新型コロナの問題は十分に危機と認識されていないように感じる。だから「これまで通りこれまでのやり方で」対応しようとしているように見えている。しかし私にはこれは個人的にも国レベルでも大きな危機と捉えられている。まず私自身が必要な選択的変化を志向したいと思う。

 

危機と人類(上)

危機と人類(上)

 

 

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