再び市民プロデューサーの時代へ

●「市民プロデューサー」という言葉をふと思い出した。この言葉は、1995年の阪神大震災をきっかけにNPOが社会的に認知されていく中で大阪ボランティア協会が開いた「市民プロデューサー養成講座」をきっかけに、NPO業界ではかなり流行した言葉だ。

 

●私もこの講座の4期生であり、その後数年スタッフも務めた。もともとこの講座は「市民活動仕掛け人講座」として企画されたが、言葉工房を主宰していたライターでこの講座の運営に深く関与した吐山継彦さんが、「市民」と「プロデューサー」という言葉の組み合わせの面白さに気づきネーミングされた。

 

●「市民プロデューサー」という言葉にはいくつかの意味が含まれる。まずこれにはボランティアや市民活動と同様、「ほっとけないからやむに止まれずする」という意味がある。さらに国や自治体、企業が手を出さないニッチな領域に自分から、わたくしから働きかける自発・私発的な活動ということでもある。

 

●しかし市民運動とは異なり、ビジネスで必要な予算の立案、交渉、運営面もしっかり考えて活動するという含意もある。吐山さんはこれを「地球市民として地域に根ざし、アイディアとユーモアとネットワークを武器に、企業や行政にできない社会変革を、経済性をも無視せず造り出せる人」と定義している。

 

●私自身はそれまで会社勤めなどを中心に仕事をしてきたので、私発で自分の想いを大切に、事業を起こすということは考えもつかなかった。しかしこの活動に参加する中で、色々な人が自分の「やむに止まれない想い」を大切に、市場も資源も無視せず事業企画を立てていくのを見て考えが変わっていった。

 

●そしてもともと私は経営関係のキャリアを持っていたが、ラボラトリーに触れる中で一人ひとりが大切にされる「チーム」が組織にもできたらどんなにいいだろうという強い思いに駆られた。そして「市民」+「プロデューサー」を真似て「チーム」+「経営」という言葉を作り事業として展開したのである。

 

●今から考えるとその当時の私の思いには、現実に即していない部分もたくさんあったと思う。その後仕事をしながら想いや運営面を修正していき、今も自分が心から信じることができ自分を動かす想いを大切に、色々な研修や組織でのサポートの仕事に取り組めている。

 

●さてこうした「市民プロデューサー」を思い出したのは、他ならぬコロナ感染症の蔓延の中の社会状況を見ているためである。震災時に行政や企業では提供できないサービスの多くを市民セクターが担ったが、今またこの災厄の中でたくさんの必要性の高いニッチ領域が生まれてきているように思える。

 

●例えばまず心のケアだ。震災の時も被災地に多くの心のケアのボランティアが入ったが、今回は非常に多くの人々が大きなストレスにさらされている。感染への恐れ、同居している高齢者へうつさないかの不安、日常通り働くことを求める組織への対応、経済的不安、先の見通しが立たない不安・・。

 

●また聞くところではニューヨークでは路上に廃材を使ってテーブルを設置し、コロナ対策のために飲食店が外で営業できるようにする取り組みがされているそうだ。こうした配慮を受けたお店は本当に嬉しいだろうと思う。さらに高齢者や外国人、子どもたちなどへのサポートも今ほど必要としている時はない。

 

●今私はつい行政に対し、「もっと・・してくれるといいのに」と怒りを覚えてしまうことが多い。しかしこのコロナがもたらす禍を軽減するためには、まず自分が持っているものをベースに自分発でできることをできるだけ提供することから始める必要があると再認識している。

 

 

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