未来を生かす人々2〜小さい人であること

「未来に起こるかもしれない災厄を防ぐ行動を、今ここで自分(自分たち)の担う荷物として受けいれる人々」(=未来を生かす人々)は世界の救済や国家の大業という檜舞台だけではなく、市井の目立たない場所にもいるように思う。そしてその人の小さな行動が、大きな災厄を防ぐこともある。

 

●例えば目の前にいる人に笑顔を向けるという行為は小さなことだ。しかしその人を気持ちよくさせ、DVという災厄を防ぐかもしれない。人の話や気持ちをよく聴くというのも何気ない行為だが、聴いてもらった人は「受け入れられた」という信頼感を持つ。だからその人が自暴自棄になることを防ぐかもしれない。

 

●このように身近な人々の小さな、何気ない行為によって災厄は未然に防止されうる。しかしこうした場合、その人の行為によって災厄が防がれたことは、行為した本人にも相手にも、他の人にも見えないことが多い。だから誰にも知られず、感謝もされない。

 

●またこうした行為によって未来の災厄が確実に防止されるわけでもない。それなのに必要な労力やコスト、自己犠牲は「今」払う必要がある。さらにその行為の意味が理解できない人々からの中傷にさらされ、反対されることもある。未来を生かす人々には、疑い、不信頼、挫折、絶望がつきまとうのだ。

 

●しかし私には未来の災厄を防ぐ一人の人の小さな行為こそ、未来の人々を生かすための「梃子」だと感じられる。災厄は起きてしまうと多くの人に害悪を与え、それと戦い、克服するには膨大な労苦や大きな力が必要とされる。起こってからでは取り返しのつかないことも多い。

 

●一方指輪物語では小さい人フロドはたった数人の仲間で世界を救うことができた。疑いや絶望に打ち克ち、「災厄が起きる前」に行為したからである。私はよく夢想する。あのヒトラーがもし青年期に身近な人々に「受け入れられる」体験をしていたなら、世界はどう変わっただろうと。

 

●指輪物語の作者は、物語の中でエルフの賢人に「指輪所持者には力の強い人や戦士ではなく、小さい人、弱い人こそふさわしい」と言わせている。この新型コロナへの対応でも、感染した人を救えるのは戦う力を持った医療者だけである。しかし小さく弱い人は「家にいること」で感染拡大を防止できる。

 

●今の世界があるのは感謝もされず、名も知られず、自己犠牲によって災厄を防止してくれた幾多の「未来を生かす小さな人々」のおかげなのだと感じる。私には彼らがユングの言う「原型」を生きたのだと思える。その時代に必要が生じた時、私たちは人類の記憶に深く刻まれたこうした行為へと誘われる。

 

●今私たちの世界はコロナ感染症という災厄の中にある。そしてそれが困窮、格差、分断・差別、争いなどの新たな災厄をもたらしつつある。未来に起きるかもしれない災厄のリスクが高まる今、それらを未然に防止するために、「未来を生かす小さい人々」の一人になりたいと私は感じている。

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