ながれと形5〜変化する私を受け入れること

●前回、ロジャースのパーソナリティ理論から人は「今ここの実在の流れ」が「より良く流れる」方向に成長していくことを見た。この理論は私の実体験にも通じるものがあるように思う。私は「私」を、今ここを与えられ刻一刻と変化しながら生きている存在としてとらえるよう成長してきたように思う。

 

●長い年月をかけて私はいろいろなものを身につけてきている。職業、地位、人間関係、価値観、自分についての概念や私が持つさまざまな特徴なども、私がこれまでに身につけてきたものだ。そして日常私は、こうして身につけてきたものと自分を、ある程度同一視して「私」をとらえている。

 

●しかし長年かけて築き上げ、慣れ親しんできた「私」を捨てることが求められる時がある。例えば自分では「優しい」と思っていたのに、他者に「厳しいですね」と言われる場合である。この言葉が私の腑に落ちると、私は自分を新たにとらえ直す必要に迫られる。「私には厳しい側面もあるのだ」と。

 

●できる私、物覚えの良い私、この職業の私、友人の多い私・・このような「私」はすべて今ここによって変化していく。こうした体験の中で、私はどんな「私」も、絶対的で永続し、私を完全に表現するものではないことに気づいた。それは相対的で、変化し、その時の私の一部を表すものに過ぎない。

 

●こうして身につけてきた「私」を自分ととらえてしまうと、変化が受けいれられなくなることがある。例えば今の職業と自分を同一視していると、それを失う時、私は揺るがされ恐怖を感じる。そして私は過去に築いてきた「私」にしがみつき、新たな私になることを拒否してしまう。

 

●私とは「今ここ」で与えられる私自身のことであり、それは常に生成し、変化し新しくなっている。その「今ここ」を生きることこそが、私にとってもっとも十全なことである。私にとって今ここを生きるということは、今ここを与えられ、変化する私を受けいれ大切にするということだ。

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