ながれと形1〜動的平衡

●今私は「流れと形」について考えている。このブログでは、私が生きていくベースとしての「今ここ」について繰り返し書いているが、私にはこの「今ここ」が流れとして感じられている。だから「流れと形」を理解することが「今ここ」や「生きる」ということを理解するヒントになるように思うのだ。

 

●まず生物学者である福岡伸一さんの「動的平衡」と言う考え方を見てみよう。私の身体は一見変わらぬ姿・形をし、その存在は長期間保たれているように見える。しかし実際は体内では、組織が絶え間なく分解され、そこに食事で摂取した分子が素早く再合成されて、置き換わり続けている。

 

●人間の身体は一年くらいで、内臓や脳、骨も、分子レベルで置き換わるとされる。生命はこうして何かを取り入れ作ると同時に、自己を壊し排出する流れの中にある。だから「私が生きている」という事は、この流れが私の身体という形を生み出し続け、それが一定期間保たれている状態なのだ。

 

●この生命感は、私が「私」を何と捉えるかという自己概念を変容させるように思う。この考えでは「私」とは、この身体を構成する分子の集まりでもあるし、また分子による動的平衡の流れでもある。さらにはこの動的平衡をもたらすもの、つまり形を決定しそれを維持し続ける働きでもある。

 

●しかし私を構成している分子は、明日には他者や木々、他の生き物を構成するだろう。またそうした生命も全て、同じ動的平衡の流れの中でいのちが与えられている。そうであるなら「私」とは何なのか?この身体に限られたものなのか、その範囲を超えた動的平衡の流れそのものなのか?

 

●前に「十牛図」を読む中で、円の中に何も描かれていない第八図を、形を生み出し維持し、変化させ壊していく力として捉えた。実は十牛図では、この後、第九図で自然を描き、第十図で他者を描く。そしてそれらを「私」として捉えていく。動的平衡の考えと十牛図には通じるものがあるように感じる。

 

 

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

  • 作者:福岡 伸一
  • 発売日: 2009/02/17
  • メディア: 単行本
 

 

 

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