3年ぶりのTグループのメンバーとの出会い

 

●先日、3年前に南山大学人間関係研究センターの「Tグループ」という講座でご一緒したメンバーがオンラインで集まる場に参加した。私はスタッフという立場で参加していたにも関わらず、わざわざお声がけいただいたのも嬉しかったし、お一人お一人のお声を聞けたのも嬉しかった。

 

●話は多岐に及び、それぞれのこの3年の来し方を教えてもらったりしながら2時間あまりの時が過ぎていった。そして私はその会話の中で、気持ちや想いを正直に出して大丈夫な感じ、それを受け入れてもらえる安心感を感じていた。また何人かのメンバーもそれを表明された。

 

●これは恐らく3年前のグループで培ったベースがあるからだろう。思い起こしてみるとあの時、それぞれの方が今ここで起きる気持ちや想いを、感性を研ぎ澄まして感じ取り、言葉にして伝えあった感じが私にはある。そうした中で、それぞれが「今ここ」に「あるもの」の存在を感じとっていたように思える。

 

●これは私が感じることだが、2人以上の人が今ここに「あるもの」を感じそこに触れながら話をする時、とても大切な時であると感じる時がある。もちろん今ここでのやり取りは、体験からの学びによって互いの成長をもたらすのだが、そうした「何のために」を超えた厳かな充足感が生まれるのだ。

 

●これは決して言葉にはできない。ただこのグループではあるメンバーが最後に「他者なのか私なのか、過去なのか未来なのか」という独り言を言われた。この言葉だけではもちろん何も伝わらないが、その場にいて「今ここ」を感じている私には、それがその場に「あるもの」を指した言葉だと理解できた。

 

●それは私と他者の「あいだ」にあり、一人一人が「今ここ」に生き、関わった時に、その実在を感じ取れる。そして一緒に「今ここ」の実在に触れたこの体験は、その人を大きく変化させていくように思える。それは「何のために」を超えた、その人が本当にその人になっていく方向での変化だ。

 

●前述の3年前に「他者なのか私なのか、過去なのか未来なのか」という独り言を言われたメンバーから、その後、アートセラピーを学び実践していると聞いた。そしてこのアートとは人と人との「あいだ」にあるもので、それが3年前のグループで場を感じとったことに関係していることを教えてくれた。

 

●この場に参加して、私は何人かのメンバーが、私が感じていた「今ここ」の実在を共に感じてくれていたのだという確信を持てた。そしてこれからももし機会が与えられれば、一緒に「今ここ」に「あるもの」、その実在を共に感じられるような場を持てればと願っている。

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