『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)2

●もちろんこの本はユートピアではない。ハクスリーは世界統制官にこの社会が幸福と安定性を保つ代償として、芸術、科学、宗教、自由などをすべて犠牲にしていることを告白させている。そして私にはこの社会は、私が生きるベースとしている「今ここの実在の流れ」を覆い隠しているように見える。

 

●この社会は変化を極度に恐れ、「今ここ」に現実に「あるもの」を見ようとしない。ここの住民は一人で月を、海を眺めることをよくないことと考える。そこで生まれてくる「今ここ」の気持ちや感じを恐れているのだ。また人と関わる時も快いことが大切とされ、「今ここ」の気持ちや感じを大切にはしない。

 

●「今ここ」を大切にすると、関わりの中で自分と他者はそのあり方を変えられてしまう。そして最終的には社会の変化をもたらす生成を生み出す。だからこの安定と幸福を何より大切にする社会は、徹底して「今ここ」という実在が存在することを覆い隠し、人々がそこに生きることを妨げようとする。

 

●この社会において、人は生き死ぬベースとして条件付けとソーマ、快感などの感覚に頼っている。しかしそれは「今ここ」という実在を見ないようにする生き方である。だから、ふとした時に垣間見えてしまう現実にある恐れや不安、想いをなくすことはできない。それは私にとっては生きるベースにはならない。

 

●この物語は私に、極度の安定と幸福に拘泥することは、現実を見ないようにすることにつながり、「今ここ」の実在を覆い隠し、結局は人も社会も無意識的なより深い恐れや不安に取り憑かれてしまうことを教えてくれる。そしてそうした社会を保つためには、最終的には強制的圧力が必要となる。

 

●これからの時代、薬物による「生化学的な幸福」が社会に広がっていくことは避けられない流れかもしれない。私もそうした流れに逆らうことはできないだろう。しかし私はそれが私の生きるベースである「今ここ」の実在を覆い隠す働きを持つことを忘れないでいたい。

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