エリクソンの人間学

いま西平直さんの「エリクソンの人間学」を読んでいます。CommentsAdd Star

エリクソンの人間学

エリクソンの人間学


この中でエリクソンのキーワードであるアイデンティティを読み直し、受け取り直す作業をされていますが、この言葉は「主観的であると同時に客観的である、個人的であると同時に社会的であるという特徴を持つ」と言っておられます。


これは自我心理学のように自分の内界と外界を分離するのでなく、関係論的に見る見方です。従ってこのアイデンティティの発達は<関係の発達>として語られることになります。それは「自分はどこに属する者なのか」という問いと結びついた「一体自分は何者なのか」という問いなのです。

そしてエリクソンは最終的に「意味ある他者」として「人類全体」を受け入れることが自我発達の延長線上にあると考えていました。これは超越論に向かう流れです。


一方エリクソンは時代のアイデンティティの変化と相対的=関係的なものとして個人のアイデンティティを考えていました。歴史が変化する時、個人のアイデンティティも変化せざるを得ないのです。

またエリクソンはアイデンティティを単に達成するものととらえず、<プロセス>である<運動>としてとらえていました。古い自分を保持し一貫することと、より新しい自分へと再生していくことのズレを産みだしながらバランスをとっていく運動として理解する。


同時にアイデンティティと言う用語を、学者の説明概念ではなく、生を生きるもの自身によって使われる、当の本人の感じる<感覚>を写し取るための言葉と理解する。それは名付けられることによって初めてそれとして取り出された感覚の表現なのである。


最後に次のようなエリクソンの言葉を引いている。

「文化人類学者のウェストン・ラ・バールはかつて、人間だけが立てる故に、人間は一人で立つといいました。私たちはこれに、我々は各々が一人で立っているが故に、共に立たなければならないと付け加えることができるでしょう」


西平さんは言います。「初めて立ったときの「僕は立てるんだ」という感激が、やがて、いくつかの危機を経た後、「このためにこそ私は立っている」という自身になり、さらにはルターの「我ここに立つ」という確信へと高まっていく。」


私はこれを読んで、「今の時代」を生きつつ、自分の組織や友人といった枠を超えて、自分と社会を結びつける言葉で、つまり他の人にも届く形で「我ここに立つ」と言うことを言うための、「言葉」を見出すことが必要なように感じています。

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