自分と人を大切にする「あり方」を学ぶラボラトリー

会社は経営者の器以上にならないとよく言われますが、チームもリーダーの器以上に「人を大切にできる」ものにならないのではないかと感じています。


これはリーダーの「あり方」と言っていいでしょう。そしてやはりこうした自分のあり方に気づき、学び、成長していく、つまり「器」を大きくすることができる学び場はラボラトリーだなと感じているのです。


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私たちが自分と人を大切にできるかどうかは、私たちの「あり方」にかかっています。そしてその背後には、自分をどうとらえるのか、人間をどうとらえるのか、グループをどうとらえるのかなどのとらえ方があります。これは私たちが持つ「枠組み」といってもいいかもしれません。

 

こうした「とらえ方」がどのように私たちのあり方に影響を与え、自分や人を大切にすること、しないことにつながるのか、いくつかの事例をあげて考えてみましょう。

 

(1)自分や人のとらえ方

 

私たちが自分や人を肩書きや地位、財産など「何かを持つもの」=「何者か」として自分ととらえていると、他者を自分より劣ったものととらえたかかわりが生じがちです。また例えばいい学校を出て、一流企業に就職していることが、そうできなかった人たちよりも能力があるなど学歴や社会的なポジションなどのラベルで人を判断することや社会的偏見につながっていきます。また他者と自分を比較して、自分はダメだと自己評価することにつながります。

 

(2)人間の成長や目的についてのとらえ方

 

自分を「何者か」でとらえると、将来資格や肩書き、スキル、財産、家族などを得てよりよい「何者か」になる必要があるという考え方が生まれます。これは例えば中学は高校に、高校は大学に入るためにある、大学はよい企業や団体に入るためにあるという考え方を導きます。


このことは私たちが「目的」とどのようにかかわるか、人間の「成長」をどうとらえるかと関連しています。もし成長の目的となる何か絶対的な目的や正しさがあるという考えに立つと人を成長させる取り組みは、いかに効率的にその目的に達するかになります。結果的に明確なひとそろいの目標によって測定され、その中で「卓越性」を得ることが求められます。

 

それができない人は未熟なもの、未達成なものととらえられてしまいます。本人も自分をダメな人間ととらえてしまうようになるでしょう。これは個々人をその定められた目的や正しさの枠内に閉じ込め、一人ひとりの個別性を飲み込んでしまうことにつながり、自分も人も大切にできなくなります。

 

(3)集団や社会とのかかわり方についてのとらえ方

 

集団や社会に適応しなければならないという考え方が行き過ぎると、集団や社会に適応するために自分の身を合わせていく必要が生じます。ここでは集団や社会を変化しないもの、させられないもの、自分たちの意志を超えて決定してしまっているものととらえています。

 

こうしたとらえ方をすると、集団や社会に受け容れられないことへの脅迫観念から、多くの人と同じように集団・社会が認める、奨める生き方をしなければならないという考えが生まれてきます。結果として私たちはありのままの自分を大事にしなくなります。

 

自分や人は他の人と置き換えのきく機能的なものとなり、その結果自分自身について、「人生(人、人間関係)とはこんなものさ」というあきらめが生まれてきます。また他者を機能としてとらえ、モノのように扱ってしまうことが起きてきます。


こうした自分のあり方は、自分では「当たり前」になっているので普段は気づきませんが、実際には日常の何気ない一つ一つの人とのかかわりの中にでてきます。


ただ日常では例え「大切にされていない」と感じてもそれを流してしまうことがほとんどで、それをきちんと伝えてくれる人はほとんどいません。


しかしラボラトリートレーニングの場では、ねらいを持って参加したメンバーが比較的長期間、時と場を同じくしてかかわる中で、自分の中からわき出してくる「今ここ」で感じた気持ちや想いを大切にして、深いかかわりが行われていきます。


その結果、例えば自分のかかわり方についてメンバーから「何かモノのように扱われているような気がする」とか、「何かあなたの考える正解に向かわされているきがする」などの率直なフィードバックが行われるのです。そしてその自分のかかわりの影響をグループメンバーで丁寧に検証していく中で、自分が自分や人を大切にしていなかったこと、それが例えば「目的に向けてこう歩むべき」という自分のとらえ方、あり方にあったことに気づいていきます。


つまり一つのかかわりの体験で起こったこと(例えば「モノのように扱われた感じがした」)を指摘し合い、それがなぜ起こったのかを考え、そこから気づき学びを得ていくという体験から学ぶプロセスによって学んでいくのです。

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