ラボラトリートレーニングに哲学的・思想的影響を与えた人々(1)クルト・レヴィンを中心とした流れ

 これまでラボラトリートレーニングのアメリカと日本における生成・発展の経緯、特にその活動の歴史を見てきた。そしてここではその活動の歴史と共に、その活動の背後にある人間観、人間関係観、さらには世界観、そして人間の成長をどうとらえるかの教育観を含む哲学、つまり何のために、何を大切にその活動をしようとしていたのかについての歴史が理解される必要がある。つまりラボラトリーの哲学に影響を与えた代表的な人々とその思想が理解される必要がある。

 

 幸い、この部分はアメリカ留学時代にレヴィンの後継者の1人であるリピットの教えを受け、JICE草創時からかかわった坂口(1989、2006、2008、2010、2012)にラボラトリーの教育、哲学の歴史についてのレビューがある。これを中心にまずはラボラトリーに哲学的・思想的影響を与えた人々の歴史的な流れを大きく見ていこう。

 

(1)クルト・レヴィンを中心とした流れ

 

 まずラボラトリーに思想的影響を与えた人として、その創始者であるクルト・レヴィンがあがるのは当然と言える。坂口(1989)によるとレヴィンがグループ・ダイナミクスという言葉を作ったのは1935年である。それ以前レヴィンはゲシュタルト心理学のメッカであったベルリン大学にいた。

 

 そこでレヴィンは、ドイツでゲシュタルト心理学の祖と言われるカール・シュトゥンプなどの指導を受けたと言われる。要素の組み合わせの結合が心理学だという学派に反対して、全体観を優先した場の理論がゲシュタルトの立場である。例えばレヴィンは戦場に向かう風景と戦場から帰還するときの風景は同じように見えない自己体験から、視界の広さや明るさなどが動機づけによって変化するという研究を行っている。

 

 またシュトゥンプのゼミは非常に自由であったと言われ、喫茶店でお茶を飲みながら行い、自由に話し合う「クワッセルストリッペ(馬鹿者が、がやがやいう)」が行われていた。マロー(1972)などが後にレヴィンのゼミの自由さについて書き残しているが、これはこのベルリン大学時代に培われたものと言えるだろう。

 

 しかしレヴィンの個人的側面として熱心なユダヤ教徒の家に生まれたため、ライプチッヒ大学には入れず、成績が良くても終身任用の専任教員になれないなどの人種差別を受けていたという。その後ナチスドイツによって生命の危機に直面し、アメリカで定職に就くことになる。レヴィンの弟子であったマロー(1972)は、ヒトラーの存在がレヴィンに「民主的な社会とはどういう人間共同体であるべきか」の問題意識を抱かせ、民主的リーダーシップや人間成長への興味を抱かせたと述懐している。 

 

 レヴィンのこうした思考様式はアリストテレスのように現象を白と黒という対照的な対としてとらえる静的概念に対してガリレオの連続性という動的概念を用いていた。前者でとらえると白と黒は反対側で相互に無縁であり、独立の領域と言える。しかし後者で考えれば、白と黒は連続体の部分としてとらえられる。

 

 またレヴィンは一般法則を作るために多くの類似した事例が必要であると言う考え方ではなく、一回だけ生じる事例も人にとっては生命をかけた出来事であるから、歴史的な頻度は法則性を決める決定要因にはならず、むしろ多様な人間性の研究には具体的な事例を全体性の観点から知ることが大切であるとした。

 

 つまり多数の事例からその平均値をとって人を理解することは危険であり、むしろ具体的事態とその固有の性質との双方が理解されれば単一の事例でも全体性を知ることができるとする。つまり人間行動は動的で質的な事柄をとらえる必要があるとするのである。

 

 またレヴィンは産業界で後の大量生産方式へとつながる科学的管理法、つまりテイラーシステムを批判している。テイラーシステムは一時労使の最大幸福を図るものとして評価されることもあったが、レヴィンは労働者を効率一辺倒の手段として扱っていることに反発し、個人の人間性を無視するものとして批判した。

 

 坂口(2012)はこうしたレビューをふまえて、レヴィンが「理論と実際の生活においていつも『生きる意味』を追求していくという姿勢を外さなかった」と述べている。レヴィンの理論は単なるグループの効率性を求めるものではない。人間の相互依存的な関係をベースに協力的な共働関係をつくり、理論と実践を結びつけるアクション・リサーチを通じて民主主義社会を構築していく人間のあり方を問うものであったのである。

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